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千葉市榎作遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/31551
引用表記 千葉県文化財センター 1992 『千葉県文化財センター調査報告216:千葉市榎作遺跡』千葉急行電鉄株式会社
千葉県文化財センター 1992 『千葉市榎作遺跡』千葉県文化財センター調査報告216
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ファイル
書名 千葉市榎作遺跡
発行(管理)機関 (公財)千葉県教育振興財団文化財センター - 千葉県
書名かな ちばしえのきさくいせき
副書名 千葉急行線内埋蔵文化財発掘調査報告書 ; 5
巻次
シリーズ名 千葉県文化財センター調査報告
シリーズ番号 216
編著者名
編集機関
千葉県文化財センター
発行機関
千葉急行電鉄株式会社
発行年月日 19920331
作成機関ID
郵便番号 284-0003
電話番号 043-422-8811
住所 千葉県四街道市鹿渡809-2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 榎作遺跡
遺跡名かな えのきさくいせき
本内順位
遺跡所在地 千葉県千葉市中央区赤井町
所在地ふりがな ちばけんちばしちゅうおうくあかいちょう
市町村コード 12201
遺跡番号 14
北緯(日本測地系)度分秒 353417
東経(日本測地系)度分秒 1400942
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.5746 140.1584
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19850401-19860331
19860401-19870331
19870401-19870515
調査面積(㎡)
12000
7500
409
調査原因 千葉急行線建設
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
主な遺物
特記事項 鉄製弓飾り・釣針・銑を出土。
種別
貝塚
時代
古墳
主な遺構
竪穴住居94
貝ブロック
主な遺物
土師器
須恵器
土製勾玉
土玉
土製紡錘車
土錘
臼玉
工具模造品
砥石
管玉
鉄滓
特記事項
種別
時代
奈良
平安
中世(細分不明)
主な遺構
主な遺物
土師器
須恵器
土製勾玉
砥石
弓金具
炭化種子
石製紡錘車
石製耳飾
刀子
鉄鏃
管玉
帯金具
鉄滓
特記事項
要約 [榎作遺跡 要約]
榎作遺跡は、千葉市の南西部に位置し、都川と村田川の中間地域で東西に広がる台地上に立地する。発掘は遺跡の東側で、調査区は南北方向を貫いている。調査の結果、古墳時代から平安時代に構築された竪穴住居237軒ほか、竪穴状遺構3基、掘立柱建物19棟、土坑39基などを検出した。特に古墳時代については、5世紀後葉〜7世紀後葉にかけて継続的に集落が営まれた状況が明らかになった。集落は5世紀末葉に一気に増加し、この時期に比定した竪穴住居は44軒を数える。その後も7世紀後半にかけて20数軒前後で推移している。出土遺物は、土師器の杯、甕を主体に、須恵器などの土器類をはじめ、刀子、鎌、鏃をはじめとする鉄製品が出土した。なかでも須恵器は杯、杯蓋が周辺の同時期の集落に比して多く出土し、土師器の編年構築に有用となる。また、鉄製品では刀子と鏃の出土が目立つ。8世紀以降は集落は衰退傾向が顕著になり、10世紀代に至り集落は途絶えてしまう。掘立柱建物は調査区のほぼ中央部に、幾つかの分布域を形成する。9世紀前半〜中頃の構築と考えられ、竪穴住居の継続期に先行して姿を消している。都川と村田川の中間地域における、この時期の集落を知る上で重要となる遺跡の一つである

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