奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41252 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132433 件
( 前年度比 + 1748 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147563 件
( 前年度比 + 2123 件 )
現在の文化財論文件数
120576 件
( 前年度比 + 1581 件 )
現在の文化財動画件数
1300 件
( 前年度比 + 116 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

富津市川島遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/31179
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.31179
引用表記 財団法人千葉県文化財センター 1998 『千葉県文化財センター調査報告339:富津市川島遺跡』財団法人千葉県文化財センター他
財団法人千葉県文化財センター 1998 『富津市川島遺跡』千葉県文化財センター調査報告339
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=行雄|last=野口|title=富津市川島遺跡|origdate=1998-03-27|date=1998-03-27|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/31179|location=千葉県四街道市鹿渡809-2|ncid=AN10472080|ncid=BA41190567|doi=10.24484/sitereports.31179|series=千葉県文化財センター調査報告|volume=339}} 閉じる
ファイル
書名 富津市川島遺跡
発行(管理)機関 (公財)千葉県教育振興財団文化財センター - 千葉県
書名かな ふっつしかわしまいせき
副書名 一般国道465号線埋蔵文化財調査報告書
巻次
シリーズ名 千葉県文化財センター調査報告
シリーズ番号 339
編著者名
編集機関
財団法人千葉県文化財センター
発行機関
財団法人千葉県文化財センター
千葉県土木部
発行年月日 19980327
作成機関ID
郵便番号 284-0003
電話番号 043-422-8811
住所 千葉県四街道市鹿渡809-2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 川島遺跡
遺跡名かな かわしまいせき
本内順位
遺跡所在地 千葉県富津市西大和田字川島870ほか
所在地ふりがな ちばけんふっつしにしおおわだあざかわしま870ほか
市町村コード 12226
遺跡番号 5
北緯(日本測地系)度分秒 351728
東経(日本測地系)度分秒 1395150
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.2944 139.8607
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19940601-19950331
調査面積(㎡)
4800
調査原因 道路建設に伴う埋蔵文化財調査
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
竪穴住居跡46
方形周溝墓3
溝状遺構5
土坑5
主な遺物
弥生土器(後)
抉入片刃石斧
砥石
管状土錘
軽石
石皿
土製勾玉
特記事項 弥生時代の軽石が大量に出土。製鉄関連遺物が多量に出土。
種別
古墳
時代
古墳
主な遺構
方形周溝墓5
円墳3
方墳1
主な遺物
土師器
須恵器
刀子
滑石製紡錘車
特記事項
種別
時代
奈良
平安
主な遺構
竪穴住居跡13
井戸状遺構2
溝状遺構7
土坑3
主な遺物
土師器
須恵器
香炉蓋
羽口
鉄斧
鉄滓
特記事項
種別
時代
中世(細分不明)
主な遺構
溝状遺構18
主な遺物
瀬戸・常滑陶器
特記事項
要約 [川島遺跡 要約]
川島遺跡は岩瀬川によって形成された標高10mの河岸段丘上に立地する。集落が弥生時代後期から古墳時代前期と奈良・平安時代にみられ、遺構の分布密度も高い。弥生時代後期から古墳時代前期の遺構は、竪穴住居46軒・方形周溝墓8基・溝状遺構5条・土坑5基である。この時期は本遺跡が最も栄えた時代であるが、周辺の遺跡でも同様である。四隅が切れる古い方形周溝墓群は、弥生後期の集落域と区画されている。続く一隅が切れるものと全周する周溝墓群は前時期の集落域に入り込むが、集落域が縮小したとみられる。古墳時代後期は小規模な古墳3基が築造された。周溝の形が不整であるが、円墳1基・方墳2基と思われる。時期は円墳と方墳1基が5世紀後半、方墳1基が7世紀代であろう。集落はみられず、これも周辺遺跡は同様の状態であるが、近隣に内裏塚古墳群があり、当該期の集落がどこにあるかが大きな課題である。奈良・平安時代の遺構は、竪穴住居13軒・井戸跡2基・溝状遺構7条・土坑3基・掘立柱建物1棟である。遺物は通常品のほかに鉄滓が多く出土し、羽口もみられる。鍛冶関係遺構の存在が考えられるが、鉄滓量が製鉄遺跡と比べると少なく、隣接地により密度の濃い製鉄関連遺構が存在すると思われる。周囲には当該期の集落が少ないことから、奈良・平安時代の集落は製鉄関連という特殊技術集団により形成されたと考えられる。中世は検出された遺構が道路と溝のみで、集落は断絶する。以後、集落が再び形成されるのは近世になってからである。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 348
ファイルダウンロード数 : 54

全国のイベント

外部出力