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千葉東南部ニュータウン

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/31623
引用表記 千葉県文化財センター 2001 『千葉県文化財センター調査報告398:千葉東南部ニュータウン』都市基盤整備公団千葉地域支社他
千葉県文化財センター 2001 『千葉東南部ニュータウン』千葉県文化財センター調査報告398
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=和男|last=森本|title=千葉東南部ニュータウン|origdate=2001-03-30|date=2001-03-30|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/31623|location=千葉県四街道市鹿渡809-2|ncid=AN10472080|ncid=BA57715251|series=千葉県文化財センター調査報告|volume=398}} 閉じる
ファイル
書名 千葉東南部ニュータウン
発行(管理)機関 (公財)千葉県教育振興財団文化財センター - 千葉県
書名かな ちばとうなんぶにゅーたうん
副書名 千葉市太田法師遺跡 ; 2(縄文時代以降)
巻次 23
シリーズ名 千葉県文化財センター調査報告
シリーズ番号 398
編著者名
編集機関
千葉県文化財センター
発行機関
都市基盤整備公団千葉地域支社
千葉県文化財センター
発行年月日 20010330
作成機関ID
郵便番号 284-0003
電話番号 043-424-4848
住所 千葉県四街道市鹿渡809-2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 太田法師遺跡
遺跡名かな おおたほうしいせき
本内順位
遺跡所在地 千葉県千葉市緑区大金沢545-5ほか
所在地ふりがな ちばけんちばしみどりくおおかなさわ545-5ほか
市町村コード 12201
遺跡番号 080
北緯(日本測地系)度分秒 353244
東経(日本測地系)度分秒 1401046
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.5488 140.1762
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19880401-19890331
19890401-19900330
19900402-19900912
調査面積(㎡)
10400
11000
5900
調査原因 土地区画整理事業に伴う埋蔵文化財調査
遺跡概要
種別
集落
散布地
時代
縄文
主な遺構
炉穴17
陥穴44
竪穴住居跡5
土坑47
主な遺物
土器
石器(尖頭器
石鏃
楔形石器
石斧
石核
敲石
磨石
石皿)
石製品(滑石製玦状耳飾)
特記事項 早期+前期
種別
集落
古墳
散布地
時代
古墳
主な遺構
竪穴住居跡7
土坑1
方墳7
主体部7(切石積横穴式石室7)
鍛冶炉1
主な遺物
土師器
須恵器
鉄製品(刀子
鉄鉗
鑷子)
金銅製六鈴銅釧
土製品(棗玉)
土製品(羽口)
鉄滓
水晶製勾玉
特記事項 科学的分析有り(鍛冶関連遺物の金属学的調査)
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
竪穴住居跡66
建物跡4
方形周溝状遺構4
土坑20
焼土(炉)1
鍛冶炉跡3
小鍛治跡2
主な遺物
土師器
須恵器
鉄製品(刀子
釘)
土製品(羽口
支脚)
鉄滓
鍛造剥片
特記事項
種別
散布地
時代
不明
主な遺構
焼土遺構3
炭焼窯
土坑82
溝状遺構16
主な遺物
特記事項
要約 [太田法師遺跡 要約]
太田法師遺跡は村田川によって開析された支谷を南に臨む標高50mの台地上に立地する。東側の広い部分がA地区、西側の狭い尾根上がB地区である。旧石器時代は尖頭器と石刃が数点あるが、本来の層位は不明である。縄文時代は炉穴17基・竪穴住居5軒・陥穴44基・前期を主体とする遺物包含層などが検出された。B区は遺構が少ない。炉穴と竪穴住居1軒は早期条痕文系の時期であるが、住居4軒の時期は不明である。陥穴は散在する。石器・石製品は石鏃・楔形石器・打製石斧・磨製石斧・敲石・磨石・石皿・玦状耳飾がある。古墳時代はA地区に後期の竪穴住居1軒・終末期の方墳7基、B地区に7世紀後半の竪穴住居8軒、土坑1基が検出された。B地区の1軒は鍛冶炉をもつ製鉄工房である。A地区の方墳群は短期間に築造されたもので、すべて砂岩切石積の横穴式石室をもつ。うち2基で千葉市南部に集中的に存在する施設である貝床が検出された。7号墳の玄室床面から金銅製の六鈴銅釧が出土した。7基の古墳の出土土器はほとんどが7世紀中頃から8世紀中頃までの須恵器である。6号墳の須恵器は時期に1世紀の隔たりがあり、数次の追葬が行われたことがわかる。奈良・平安時代はA・B地区とも密度の濃い集落が検出された。多くの竪穴住居のほか、A地区で掘立柱建物4棟、方形区画墓4基、B地区で鍛冶炉2基が検出された。A地区竪穴住居の歴年代は8世紀後半から10世紀後半であるが、9世紀後半から10世紀後半のものが多い。製鉄関連の遺構がA・B地区とも多く検出された。しかし、斜面には製鉄炉が見つからなかったため、鉄塊が持ち込まれて小鍛治が行われたのであろう。本遺跡では古墳時代後期に痩せ尾根で製鉄関連活動が行われ、同じ頃広い台地に古墳が築造された。その後、奈良時代に製鉄活動は衰退し、集落もほぼ途絶えた。9世紀後半に再び製鉄関連集団が入植し、製鉄活動は10世紀中頃まで継続したが、10世紀後半に衰退し、集落は台地上から姿を消した。

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