奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41245 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132428 件
( 前年度比 + 1743 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147554 件
( 前年度比 + 2114 件 )
現在の文化財論文件数
120575 件
( 前年度比 + 1580 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

佐倉市南広遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/55989
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.55989
引用表記 千葉県文化財センター 1993 『千葉県文化財センター調査報告236:佐倉市南広遺跡』千葉県土地開発公社
千葉県文化財センター 1993 『佐倉市南広遺跡』千葉県文化財センター調査報告236
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=和男|last=森本|first2=誠|last2=金丸|first3=哲朗|last3=井上|first4=秀治|last4=豊田|title=佐倉市南広遺跡|origdate=1993-03-31|date=1993-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/55989|location=千葉県四街道市鹿渡809-2|ncid=BN11124292|ncid=AN10472080|doi=10.24484/sitereports.55989|series=千葉県文化財センター調査報告|volume=236}} 閉じる
ファイル
書名 佐倉市南広遺跡
発行(管理)機関 (公財)千葉県教育振興財団文化財センター - 千葉県
書名かな さくらしみなみひろいせき
副書名 佐倉第三工業団地造成に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 ; 10
巻次
シリーズ名 千葉県文化財センター調査報告
シリーズ番号 236
編著者名
編集機関
千葉県文化財センター
発行機関
千葉県土地開発公社
発行年月日 19930331
作成機関ID
郵便番号 284-0003
電話番号 043-422-8811
住所 千葉県四街道市鹿渡809-2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 南広遺跡
遺跡名かな みなみひろいせき
本内順位 1
遺跡所在地 千葉県佐倉市大作2丁目
所在地ふりがな ちばけんさくらしおおさくにちょうめ
市町村コード 12212
遺跡番号 025
北緯(日本測地系)度分秒 354040
東経(日本測地系)度分秒 1401450
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.681 140.244
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19841001-19850331
19851121-19860131
19890401-19920331
調査面積(㎡)
17700
調査原因 工業団地建設
遺跡概要
種別
散布地
時代
旧石器
主な遺構
遺物集中4
主な遺物
ナイフ形石器
削器
特記事項 古墳時代後期から平安時代にかけての集落の変遷を追うことができる。近世の遺構群は当時の民衆レベルの考古資料として貴重。
種別 : 包含地
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
竪穴建物22
土坑3
溝1
主な遺物
土師器
須恵器
鉄製品
土製品
鉄滓
特記事項
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
竪穴建物45
掘立柱建物6
柵列2
土坑2
主な遺物
土師器
須恵器
鉄製品
帯金具
特記事項
種別
集落
時代
近世(細分不明)
主な遺構
掘立柱建物1
方形竪穴建物10
柵列3
土壙墓1
火葬墓2
溝1
壇1
主な遺物
陶磁器
土器
銭貨
煙管
特記事項
要約 [南広遺跡 要約]
南広遺跡は高崎川の支流によって開析された台地に立地する。旧石器時代の石器集中地点は4か所検出され、ナイフ形石器・削器などが出土した。古墳時代後期、6世紀中葉から平安時代、9世紀後半にわたる集落が見つかった。調査範囲は台地の南半部であり、遺構の数量はかなり増えるとみられる。竪穴住居等の遺構は台地平坦面から斜面部まで位置する。標高は25m〜35mに及ぶが、谷部が20mあるため、遺構が位置する最も低いところとの比高は5mである。台地南西の端に1間×1間の掘立柱建物があるが、近くの竪穴住居から「佛」及び絵が墨書された9世紀後半の土師器杯が出土していることから、仏堂関係の建物群であろう。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 262
ファイルダウンロード数 : 50

全国のイベント

外部出力