奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41252 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132433 件
( 前年度比 + 1748 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147563 件
( 前年度比 + 2123 件 )
現在の文化財論文件数
120576 件
( 前年度比 + 1581 件 )
現在の文化財動画件数
1300 件
( 前年度比 + 116 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

酒々井町飯積原山遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/31789
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.31789
引用表記 千葉県教育振興財団 2015 『千葉県教育振興財団調査報告742:酒々井町飯積原山遺跡』千葉県教育振興財団
千葉県教育振興財団 2015 『酒々井町飯積原山遺跡』千葉県教育振興財団調査報告742
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=高弘|last=木原|first2=博孝|last2=西川|first3=勝雄|last3=橋本|first4=昴博 |last4=小林|title=酒々井町飯積原山遺跡|origdate=2015-11-27|date=2015-11-27|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/31789|location=千葉県四街道市鹿渡809-2|ncid=BB16048200|doi=10.24484/sitereports.31789|series=千葉県教育振興財団調査報告|volume=742}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 酒々井町飯積原山遺跡
発行(管理)機関 (公財)千葉県教育振興財団文化財センター - 千葉県
書名かな しすいまちいいづみはらやまいせき
副書名 酒々井南部地区埋蔵文化財調査報告書 ; 5
巻次 4
シリーズ名 千葉県教育振興財団調査報告
シリーズ番号 742
編著者名
編集機関
千葉県教育振興財団
発行機関
千葉県教育振興財団
発行年月日 20151127
作成機関ID
郵便番号 284-0003
電話番号 043-424-4848
住所 千葉県四街道市鹿渡809-2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 飯積原山遺跡
遺跡名かな いいづみはらやまいせき
本内順位
遺跡所在地 千葉県酒々井町飯積字藤蕪562ほか
所在地ふりがな しすいまちいいづみあざふじかぶ562ほか
市町村コード 12322
遺跡番号 005
北緯(日本測地系)度分秒 354310
東経(日本測地系)度分秒 1401747
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.7227 140.2931
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19971201-19980327
20130408-20140227
調査面積(㎡)
2178
22485
調査原因 土地区画整理事業に伴う埋蔵文化財調査
遺跡概要
種別
その他
時代
旧石器
主な遺構
遺物集中地点1か所
主な遺物
旧石器時代石器
特記事項
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
ピット233基
竪穴住居跡68軒
炉跡76基
土坑・陥穴1,505基
主な遺物
縄文土器
土偶
耳栓
土器片円板
土器片錘
石鏃
楔形石器
打製石斧
磨製石斧
石皿
凹石
敲石
磨石類
石棒
原石
特記事項
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
竪穴住居跡6軒
主な遺物
土師器
紡錘車
特記事項
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
竪穴住居跡1軒土坑
1基,
掘立柱建物跡8棟
溝状遺構2条
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項
種別
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
道路状遺構1条
主な遺物
特記事項
要約 [飯積原山遺跡 要約]
飯積原山遺跡は、印旛沼に近い高崎川に北面する台地上に立地する。旧石器時代は、立川ローム?下・?層段階の礫群を主体とする遺物集中地点が1か所検出された。縄文時代は、中期中葉から後期前葉を中心とした時期で、袋状土坑、円形土坑を伴う竪穴住居跡群が長軸約200m、短軸100mの環状に分布し、きわめて密度の濃い状況で検出された。中央広場は自然地形の凹地を利用し、住居跡及び土坑はこれを取り巻く高所に占地していた。古墳時代は、中期末から後期前葉の小規模な集落が検出された。飯積上台遺跡と時期的に補完するもので、2遺跡間で集落が遷移したと推測される。 奈良・平安時代は、8世紀第4四半期から9世紀第3四半期にかけての竪穴住居群、掘立柱建物群が検出された。庄所、村落寺院、居宅、荘園村落が計画的に配置された初期荘園と捉えられる集落である。今回報告の(78)区においては、竪穴住居跡は北側の舌状台地部において単独で検出された。掘立柱建物跡群は、(10)区、(13)区において検出された庄所と捉えた第1建物群に連続するもので、その構成・変遷が明らかとなった。 

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 1555
ファイルダウンロード数 : 121

全国のイベント

外部出力