URL |
https://sitereports.nabunken.go.jp/25475
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引用表記 |
財団法人印旛郡市文化財センタ− 2011 『印旛郡市文化財センタ−295:道作古墳群(第2次)・馬場遺跡第5地点(第1次・第2次)』印西市
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財団法人印旛郡市文化財センタ− 2011 『道作古墳群(第2次)・馬場遺跡第5地点(第1次・第2次)』印旛郡市文化財センタ−295
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wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book|和書|first=裕明|last=喜多|title=道作古墳群(第2次)・馬場遺跡第5地点(第1次・第2次)|origdate=2011-03-25|date=2011-03-25|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/25475|location=千葉県佐倉市鏑木町198番地の3|ncid=AN10265020|ncid=BB06780989|series=印旛郡市文化財センタ−|volume=295}}
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ファイル |
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書名 |
道作古墳群(第2次)・馬場遺跡第5地点(第1次・第2次) |
発行(管理)機関 |
(公財)印旛郡市文化財センター
- 千葉県
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書名かな |
どうさくこふんぐん(だい2じ)・ばばいせきだい5ちてん(だい1じ・だい2じ) |
副書名 |
印西市道00-031号線道作古墳群・馬場遺跡埋蔵文化財調査 |
巻次 |
本文・遺構・分析編 |
シリーズ名 |
印旛郡市文化財センタ− |
シリーズ番号 |
295 |
編著者名 |
|
編集機関 |
財団法人印旛郡市文化財センタ−
|
発行機関 |
印西市
|
発行年月日 |
20110325 |
作成機関ID |
|
郵便番号 |
285-0025 |
電話番号 |
043-484-0126 |
住所 |
千葉県佐倉市鏑木町198番地の3 |
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
|
資料タイプ |
Research Paper |
発掘調査報告 |
掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) |
所蔵大学(NCID) |
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JP番号 |
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他の電子リソース |
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備考 |
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所収論文 |
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所収遺跡 |
遺跡名 |
道作古墳群(第2次) |
遺跡名かな |
どうさくこふんぐん |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
千葉県印西市小林字花作無番地 |
所在地ふりがな |
ちばけんいんざいしこばやしあざはなさくむばんち |
市町村コード |
122319 |
遺跡番号 |
09-044 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
354933 |
東経(日本測地系)度分秒 |
1401059 |
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.8291 140.1798
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20081222-20090129
|
調査面積(㎡) |
540
|
調査原因 |
道路建設 |
遺跡概要 |
種別 |
古墳
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
なし
|
主な遺物 |
縄文土器(後期後葉・前浦式)
|
特記事項 |
付近に縄文時代の集落が存在する可能性がある。 |
種別 |
古墳
|
時代 |
古墳
|
主な遺構 |
周溝
|
主な遺物 |
円筒埴輪
形象埴輪
|
特記事項 |
道作1号墳に形象埴輪が含まれることが判明した。 |
種別 |
古墳
|
時代 |
奈良
平安
|
主な遺構 |
なし
|
主な遺物 |
須恵器
土師器甕
坏
鉄滓
羽口
墨書土器
|
特記事項 |
近隣に製鉄址が存在する可能性がある。 |
種別 |
古墳
|
時代 |
中世(細分不明)
近世(細分不明)
|
主な遺構 |
溝状遺構
火葬墓
|
主な遺物 |
常滑甕
徳利
擂鉢
|
特記事項 |
溝状遺構は地割溝だと考えられる。 |
|
遺跡名 |
馬場遺跡第5地点(確認) |
遺跡名かな |
ばばいせき |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
千葉県印西市小林字馬場2821-4他 |
所在地ふりがな |
ちばけんいんざいしこばやしあざばば2821-4ほか |
市町村コード |
122319 |
遺跡番号 |
09-040 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
354935 |
東経(日本測地系)度分秒 |
1401108 |
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.8296 140.1823
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20070116-20070202
|
調査面積(㎡) |
824
|
調査原因 |
道路改良工事 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
住居跡8軒
土坑13基
包含層1箇所
|
主な遺物 |
縄文土器(加曾利E4式〜千網式)
土偶
耳飾
有孔円板
砥石
磨石
|
特記事項 |
晩期の包含層と該期の集落跡の存在が確認できた。 |
種別 |
集落
|
時代 |
奈良
平安
|
主な遺構 |
住居跡8軒
小ピット37基
|
主な遺物 |
須恵器高坏
長頸壺
鉄滓
|
特記事項 |
該期の集落の存在が確認できた。 |
種別 |
集落
|
時代 |
中世(細分不明)
近世(細分不明)
|
主な遺構 |
土塁1条
土坑5基
溝状遺構8条
|
主な遺物 |
カワラケ
泥面子
|
特記事項 |
区画溝の検出により、中世の屋敷地の存在が確認された。 |
|
遺跡名 |
馬場遺跡第5地点(第1次) |
遺跡名かな |
ばばいせき |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
千葉県印西市小林字馬場2821-4他 |
所在地ふりがな |
ちばけんいんざいしこばやしあざばば2821-4ほか |
市町村コード |
122319 |
遺跡番号 |
09-040 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
354935 |
東経(日本測地系)度分秒 |
1401108 |
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.8296 140.1823
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20070702-20071031
|
調査面積(㎡) |
3,665
|
調査原因 |
道路建設 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
住居跡7軒
土坑418基
|
主な遺物 |
縄文土器(加曾利E4式〜千網式)
土偶
耳飾
有孔円板
砥石
磨石
石棒
石剣
骨角器
会製品
|
特記事項 |
241号土坑からは多量の土器とともに骨角器等り漁労具、装身具等が出土した。大型建物跡3軒が検出し、該期の拠点的集落であることが判明した。 |
種別 |
集落
|
時代 |
奈良
平安
|
主な遺構 |
住居跡9軒
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
鉄滓
鉄製品
|
特記事項 |
8世紀〜9世紀の集落の一部が検出した。周辺でも同時期の集落が存在しているため、集落の展開が本遺跡まで及んでいることが判明した。 |
種別 |
集落
|
時代 |
中世(細分不明)
近世(細分不明)
|
主な遺構 |
掘立柱建物跡6棟
溝状遺構7条
道路状遺構
地下式坑1基
|
主な遺物 |
内耳鍋
陶磁器
鉄滓
|
特記事項 |
掘立柱建物跡は溝状遺構に区画された中に配置されていた。印旛地域では珍しい階段付き地下式坑が検出した。 |
|
遺跡名 |
馬場遺跡第5地点(第2次) |
遺跡名かな |
ばばいせき |
本内順位 |
|
遺跡所在地 |
千葉県印西市小林字馬場無番地 |
所在地ふりがな |
ちばけんいんざいしこばやしあざばばむばんち |
市町村コード |
122319 |
遺跡番号 |
09-045 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
354935 |
東経(日本測地系)度分秒 |
1401108 |
北緯(世界測地系)度分秒 |
|
東経(世界測地系)度分秒 |
|
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.8296 140.1823
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
20081001-20081219
|
調査面積(㎡) |
592
|
調査原因 |
道路建設 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
住居跡1軒
掘立柱建物跡2棟
土坑204基
|
主な遺物 |
縄文土器(加曾利E4式〜千網式)
土偶
耳飾
有孔円板
砥石
磨石
石棒
石剣
骨角器
貝製品
|
特記事項 |
大型建物跡の続きが検出し、3軒の重複であることかが判明した。また、変遷過程が明らかとなった。 |
種別 |
集落
|
時代 |
奈良
平安
|
主な遺構 |
なし
|
主な遺物 |
土師器
須恵器
鉄滓
鉄製品
|
特記事項 |
1次調査の住居の続きが検出した。 |
種別 |
集落
|
時代 |
中世(細分不明)
近世(細分不明)
|
主な遺構 |
溝状遺構3条
道路状遺構
|
主な遺物 |
内耳鍋
陶磁器
鉄滓
|
特記事項 |
道路状遺構の続きが検出した。屋敷地前に沿った通りであることが判明した。出土遺物から構築時期は中世と考えられる。 |
|
|
要約 |
[道作古墳群(第2次) 要約] 後世の土地改変のため遺存状態は良くなかったが、道作1号墳の南東側の周溝が検出した。周溝内及び周辺から下総型円筒埴輪が出土し、人物、馬等の形象埴輪も新規に含まれることが判明した。その他、1次調査の際、周溝のみが検出されたが、2次調査ではその続きと主体部の他、南北方向の周溝が新たに認められた。これにより未周知の古墳の存在が確認できた。 [馬場遺跡第5地点(確認) 要約] 縄文時代は、調査区東側で約800にわたる晩期の遺物包含層が確認された。奈良・平安時代は、調査区の中央から東側にかけて住居跡を数軒検出した。周辺り調査事例でも同様の展開を示しているため、集落の一部が本遺跡に存在している可能性がある。中近世は、調査区を東西に走る土塁と溝状遺構を検出した。屋敷地に伴う区画溝の可能性がある。 [馬場遺跡第5地点(第1次) 要約] 縄文時代の住居跡は後・晩期に限定され、調査区の東側と西側に位置している。中央部付近には大型住居が位置している。奈良・平安時代は住居跡が9軒検出し、同一台地上に位置する駒形北遺跡の集落が本遺跡にも展開している可能性が出てきた。中・近世は、南北と東西に位置する溝状遺構によって構成された区画内に掘立柱建物跡が所在していることから、該期の屋敷地であることが判明した。 [馬場遺跡第5地点(第2次) 要約] 縄文時代は、調査区中央部付近に位置していた大型住居が3軒の住居より構成されることが判明した。他の住居との位置関係から、該期の環状集落と判明した。奈良・平安時代は、1次調査の続きの住居跡が検出したが、新たな遺構等は発見できなかった。中・近世は道路状遺構が屋敷地前に位置することが分かり、土塁で区画された屋敷地前の通りであったことが判明した。
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