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下田遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/72043
引用表記 坂戸市教育委員会 2019 『下田遺跡』坂戸市教育委員会
坂戸市教育委員会 2019 『下田遺跡』
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=恭朗|last=加藤|first2=祐一|last2=中村|first3=啓|last3=池内|title=下田遺跡|origdate=2019-03-29|date=2019-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/72043|location=埼玉県坂戸市千代田一丁目1番1号|ncid=BB09658722|volume=3}} 閉じる
ファイル
書名 下田遺跡
発行(管理)機関 坂戸市 - 埼玉県
書名かな しもだいせき
副書名 下田遺跡3区・5区発掘調査報告書
巻次 3
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
坂戸市教育委員会
発行機関
坂戸市教育委員会
発行年月日 20190329
作成機関ID 112399
郵便番号 3500292
電話番号 0492831331
住所 埼玉県坂戸市千代田一丁目1番1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 下田遺跡
遺跡名かな しもだいせき
本内順位
遺跡所在地 入西東部土地区画整理事業地内
所在地ふりがな にっさいとうぶとちくかくせいりじぎょうちない
市町村コード 11239
遺跡番号 27-155
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 355755
東経(世界測地系)度分秒 1392253
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.965277 139.381388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20161215-20170815
20180105-20180531
調査面積(㎡)
8085
4182
調査原因 流通加工施設建設
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
古墳
奈良
平安
中世(細分不明)
主な遺構
住居跡
掘立柱建物跡
土坑
溝状遺構
ピット
井戸
炉跡
主な遺物
縄文土器
岩鼻式土器
吉ヶ谷式土器
土師器
須恵器
石製紡錘車
かわらけ
特記事項
種別
集落
時代
弥生
古墳
奈良
平安
中世(細分不明)
主な遺構
住居跡
土坑
溝状遺構
ピット
掘立柱建物跡
井戸
主な遺物
吉ヶ谷式土器
土師器
石鏃
須恵器
石製紡錘車
刀子
耳環
かわらけ
特記事項
要約 [3区]下田遺跡3区は、平成27・28年度調査の2区ーA1の西側と2区ーA2の北側に隣接する。検出された遺構は弥生時代後期~古墳時代前期、古墳時代後期、奈良・平安時代、中世以降の4時期に大別できる。弥生時代後期~古墳時代前期では、2区ーA1から続く吉ヶ谷式期の集落が西側にも広がることが確認された。また集落の中では、15号掘立柱建物跡の範囲内から、吉ヶ谷式甕と高坏が合わせ口の状態で出土した23号土坑が検出されている。これらの遺構は、炭化物の年代測定結果も含め、同時性が高いといえる。古墳時代後期でも、2区ーA1から続く集落の広がりが確認された。1辺8~9mの大型住居跡と1辺4~5mの住居跡が円形ないし馬蹄形に形成され、その中央に掘立柱建物群が配置される集落構造であることが判明した。中世以降では、多くの掘立柱建物跡と溝状遺構が検出され、規模の大きな集落が営まれていたことが明らかとなった。
[5区]下田遺跡5区は、平成27・28年度調査の2区ーD1の南側に隣接する。検出された遺構は弥生時代後期~古墳時代前期、古墳時代後期、奈良・平安時代、中世以降の4時期に大別できる。弥生時代後期~古墳時代前期では、1辺8m超の大型住居跡3軒をはじめ、多数の住居跡が検出された。これらの住居跡は平面形や出土遺物から、2区ーA1や3区に後続すると考えられ、集落が中心部を移動させながら営まれていたことがうかがえる。古墳時代後期でも、2区ーD1から続く集落の広がりが確認され、平成22・23年度調査の同時期の集落であることが判明した。8号住居跡では、住居跡の中央部に土坑状の掘り込みが2基検出され、そのうち1基の底面から面取りした杭状の木製品が出土した。いわゆるロクロピットと考えられ、土師器等を制作した工房として機能していたと推測される。また、29号掘立柱建物跡は2間×2間の総柱建物で、北・西・東の3辺に浅い溝がめぐり、南側には階段状の遺構の可能性がある2組2列のピットを伴っている。規模や形態から、神社遺構の可能性が指摘されよう。中世以降では、調査区の南西部で掘立柱建物群が密集して検出され、集落がさらに南側に広がる可能性が高いことが明らかとなった。

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