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林宮原遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/61203
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.61203
引用表記 長野原町教育委員会 2011 『長野原町埋蔵文化財調査報告23:林宮原遺跡』群馬県吾妻郡長野原町教育委員会
長野原町教育委員会 2011 『林宮原遺跡』長野原町埋蔵文化財調査報告23
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書名 林宮原遺跡
発行(管理)機関 長野原町 - 群馬県
書名かな はやしみやはらいせき
副書名 仮設ゲートボール場造成に伴う発掘調査報告書
巻次 8
シリーズ名 長野原町埋蔵文化財調査報告
シリーズ番号 23
編著者名
編集機関
長野原町教育委員会
発行機関
群馬県吾妻郡長野原町教育委員会
発行年月日 20111222
作成機関ID
郵便番号 377-1305
電話番号 0279-82-4517
住所 群馬県吾妻郡長野原町大字与喜屋174
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 林宮原遺跡
遺跡名かな はやしみやはらいせき
本内順位 1
遺跡所在地 群馬県吾妻郡長野原町大字林
所在地ふりがな ぐんまけんあがつまぐんながのはらまちおおあざはやし
市町村コード 10424
遺跡番号 48
北緯(日本測地系)度分秒 363230
東経(日本測地系)度分秒 1384047
北緯(世界測地系)度分秒 363240.39
東経(世界測地系)度分秒 1384025.37
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.544552 138.673713
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20080901-20080918
調査面積(㎡)
274
調査原因 仮設ゲートボール場造成
遺跡概要
種別
集落
時代
平安
主な遺構
住居8
土坑5
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
鉄製品
鉄滓
石器
縄文土器
特記事項 長野県域との交流を示す資料が出土
要約 本遺跡は吾妻川左岸の最上段丘上の南向き緩斜面に位置する。標高626m前後である。平安時代竪穴住居跡8軒、土坑5基が検出された。住居跡は北カマドのSI02の他は東カマドで、出土遺物から前者が9世紀第3四半期、後者が10世紀第1四半期に比定されることから9世紀後半代は東カマド主体で北カマドが存在し、10世紀代にも東カマドが主体だが東南カマドが出現するという大まかな方向性が把握された。因みに東南カマドをもつSI02は青灰色テフラ(浅間粕川テフラ)に覆われて検出されている。土坑のうちSK01は柱痕跡が確認されたことから、掘立柱建物跡の可能性が高く、SK03・05は羽口や鉄滓・鉄片の出土から小鍛冶関連遺構と考えられ、集落内で小鍛冶を行っていたことがほぼ明確になった。出土遺物では県内平野部では出土事例の確認できない2点の遺物が住居内から出土した。苧引金具と内黒処理を施された高台付皿である。前者から集落内で麻の栽培・収穫から麻布の生産までを生業の一つとして行っていたことが推測され、いずれも長野県域との交流を示す資料と判断された。

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