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水沼寺沢遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/60412
引用表記 高崎市教育委員会 2013 『高崎市文化財調査報告書308:水沼寺沢遺跡』高崎市教育委員会
高崎市教育委員会 2013 『水沼寺沢遺跡』高崎市文化財調査報告書308
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=真也|last=角田|first2=聖語|last2=神戸|title=水沼寺沢遺跡|origdate=2013-03-29|date=2013-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/60412|location=群馬県高崎市高松町35-1|ncid=BB18700025|series=高崎市文化財調査報告書|volume=308}} 閉じる
ファイル
書名 水沼寺沢遺跡
発行(管理)機関 高崎市 - 群馬県
書名かな みずぬまてらさわいせき
副書名
巻次
シリーズ名 高崎市文化財調査報告書
シリーズ番号 308
編著者名
編集機関
高崎市教育委員会
発行機関
高崎市教育委員会
発行年月日 20130329
作成機関ID
郵便番号 370-8501
電話番号 027-321-1292
住所 群馬県高崎市高松町35-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 水沼寺沢遺跡
遺跡名かな みずぬまてらさわいせき
本内順位 1
遺跡所在地 群馬県高崎市倉渕町水沼873ほか
所在地ふりがな ぐんまけんたかさきしくらぶちまちみずぬまはっぴゃくななじゅうさんほか
市町村コード 10202
遺跡番号 451/495/511
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 362511.50
東経(世界測地系)度分秒 1384658.50
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.419861 138.782916
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20090727-20090904
20110620-20120331
調査面積(㎡)
7800
調査原因
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
竪穴建物
土坑
主な遺物
縄文土器
石器
特記事項 縄文(前期前半及び中期後半)住居
北緯(世界測地系)36度25分09秒-36度25分14秒
東経(世界測地系)138度46分53秒-138度47分04秒
種別
時代
弥生
主な遺構
土器棺
主な遺物
弥生土器
特記事項 弥生前期末土器棺
種別
集落
時代
平安
主な遺構
竪穴建物
主な遺物
土器
鉄器
銅製品
特記事項 平安後半製鉄
種別
田畑
時代
平安
主な遺構
耕作痕
主な遺物
特記事項 近世無縫塔
種別
城館
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
堀切
主な遺物
特記事項
種別
時代
近世(細分不明)
主な遺構
無縫塔
主な遺物
陶磁器
煙管
特記事項
要約 本遺跡は、縄文時代から中・近世の複合遺跡である。以下、時代順に概要を説明する。縄文時代草創期の有舌尖頭器が1点検出されており、この時代から寺沢台地に人が来ていたことがわかる。早期後半には比較的大規模な土坑群が構築される。縄文時代前期初頭には竪穴住居が作られる。次いで前期前半にも竪穴住居と土坑から構成される集落が営まれる。間を置いて前期末葉から中期初頭にかけての土坑群がある。中期後半になると再び集落が営まれ、後期初頭までこの地に人が住んでいたことが分かる。その後、いったん無住の地となるようである。弥生時代前期末葉から中期初頭とみられる土坑2基は、墓に関連するものと考えられている。また層位的に見て弥生時代後期~古墳時代前期の陥穴と見られる遺構群が見つかっている。再度この地が居住の場となるのは平安時代である。9世紀以降、10世紀後半から11世紀を中心とした竪穴住居が、台地の斜面下に立地する。出土遺物等から見て、鉄生産あるいは木工と関わる集落と見られるが、耕作痕も発見されており、生業には農耕が含まれていたことが分かる。1108年の浅間B軽石の厚い堆積によりこれらの遺構は埋め尽くされているが、中世の竪穴住居や土坑群がその上から構築されている。また中尾城という城館の伝承があり、人為的に掘られた堀切が見つかった。近世には大部分が畑として利用されたとみられるが、僧侶の墓とみられるの墓石と副葬品が残されており、今回の調査により発掘された。

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