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発行機関一覧 (都道府県別) > 群馬県 > (公財)群馬県埋蔵文化財調査事業団 > 引間六石遺跡・引間松葉遺跡・塚田的場遺跡・塚田中原遺跡

引間六石遺跡・引間松葉遺跡・塚田的場遺跡・塚田中原遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/26443
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.26443
引用表記 財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 2007 『群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告書397:引間六石遺跡・引間松葉遺跡・塚田的場遺跡・塚田中原遺跡』財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 2007 『引間六石遺跡・引間松葉遺跡・塚田的場遺跡・塚田中原遺跡』群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告書397
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書名 引間六石遺跡・引間松葉遺跡・塚田的場遺跡・塚田中原遺跡
発行(管理)機関 (公財)群馬県埋蔵文化財調査事業団 - 群馬県
書名かな ひきまろっこくいせき ひきままつばいせき つかだまとばいせき つかだなかはらいせき
副書名 一般県道前橋・足門線バイパス(西毛広域幹線道路)建設工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 ; 4
巻次
シリーズ名 群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告書
シリーズ番号 397
編著者名
編集機関
財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
発行機関
財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
発行年月日 20070323
作成機関ID
郵便番号 377-8555
電話番号 0279-52-2511
住所 群馬県渋川市北橘町下箱田784番地2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 引間六石遺跡
遺跡名かな ひきまろっこくいせき
本内順位
遺跡所在地 群馬県高崎市引間町(旧群馬県群馬郡群馬町大字引間)
所在地ふりがな ぐんまけんたかさきしひきままち
市町村コード 10202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒 362308
東経(日本測地系)度分秒 1390105
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.3887 139.0149
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20021108-20030930
調査面積(㎡)
5089.1
調査原因 道路建設工事
遺跡概要
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
住居跡54
土坑
掘立柱建物
竪穴状遺構
主な遺物
特記事項 旧陸軍前橋飛行場跡隣接地
種別
その他
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
土坑
主な遺物
特記事項
遺跡名 引間松葉遺跡
遺跡名かな ひきままつばいせき
本内順位
遺跡所在地 群馬県高崎市引間町(旧群馬県群馬郡群馬町大字引間)
所在地ふりがな ぐんまけんたかさきしひきままち
市町村コード 10202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒 362309
東経(日本測地系)度分秒 1390124
北緯(世界測地系)度分秒 362319
東経(世界測地系)度分秒 1390101
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.388611 139.016944
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20021108-20030930
調査面積(㎡)
8746.7
調査原因 道路建設工事
遺跡概要
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
住居跡27
土坑
掘立柱建物
竪穴状遺構
主な遺物
特記事項 旧陸軍前橋飛行場跡隣接地
種別
田畑
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
土坑
主な遺物
特記事項
種別
その他
時代
近代(細分不明)
主な遺構
土坑
主な遺物
特記事項
遺跡名 塚田的場遺跡
遺跡名かな つかだまとばいせき
本内順位
遺跡所在地 群馬県高崎市塚田町(旧群馬県群馬郡群馬町大字塚田)
所在地ふりがな ぐんまけんたかさきしつかだまち
市町村コード 10202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒 362308
東経(日本測地系)度分秒 1390116
北緯(世界測地系)度分秒 362319
東経(世界測地系)度分秒 1390107
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.388611 139.018611
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20030616-20030703
調査面積(㎡)
2127.5
調査原因 道路建設工事
遺跡概要
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
住居跡5
土坑
掘立柱建物
竪穴状遺構
主な遺物
特記事項 旧陸軍前橋飛行場跡隣接地
種別
その他
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
土坑
主な遺物
特記事項
種別
時代
近代(細分不明)
主な遺構
主な遺物
特記事項
遺跡名 塚田中原遺跡
遺跡名かな つかだなかはらいせき
本内順位
遺跡所在地 群馬県高崎市塚田町(旧群馬県群馬郡群馬町大字塚田)
所在地ふりがな ぐんまけんたかさきしつかだまち
市町村コード 10202
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒 362313
東経(日本測地系)度分秒 1390124
北緯(世界測地系)度分秒 362323
東経(世界測地系)度分秒 1390114
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.389722 139.020555
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20010620-20021024
調査面積(㎡)
3575.5
調査原因 道路建設工事
遺跡概要
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
住居跡24
土坑
掘立柱建物
竪穴状遺構
主な遺物
特記事項 旧陸軍前橋飛行場跡隣接地
種別
その他
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
土坑
主な遺物
特記事項
種別
その他
時代
近世(細分不明)
主な遺構
主な遺物
特記事項
要約 [引間六石遺跡 要約]
検出された遺構は、竪穴住居跡54軒、竪穴状遺構2軒、土坑116基、ピット179基、溝36条である。この他に畠跡、道跡なども検出した。竪穴住居跡は8世紀前半から10世紀にかけてのものであり、その主体となる時期は9世紀後半である。重複関係が激しいために時期不明の住居跡もある。土坑116基のうち遺物の出土(遺構に伴う)している土坑は17基である。このために大多数の土坑の時期は不明であるが、中世以降に属するものと思われる。溝には9世紀代や中世の堀、そして近世や近代に属するものも含まれている。
[引間松葉遺跡 要約]
引間六石遺跡と道路を挟んだ東側、塚田的場遺跡の北側に位置している。 ・ 区から検出された遺構は、竪穴住居跡27軒、掘建柱建物跡2棟、竪穴状遺構5軒、土坑382基、ピット414基、溝33条、畠跡などである。竪穴住居跡は7世紀後半から11世紀に及ぶが、その主体となる時期は10世紀代である。その分布は調査区の西から中央部にかけて検出されず、東部から検出されている。塚田中原遺跡( 区)に連なる住居跡群となる。遺跡中央部からは土坑やピット多数、畠跡が検出されている。また前橋飛行場に関連する対空機関銃座と、その周辺からは兵士が飯盒炊飯をした場所も発掘されている。
[塚田的場遺跡 要約]
引間松葉遺跡とは道路を挟んで南側の地区となる。引間松葉遺跡とは一体の遺跡である。検出された遺構は、竪穴住居跡5軒、建物跡1棟、土坑36基、ピット88基、溝6条、畠跡などである。竪穴住居跡は8世紀後半から9世紀前半にかけてのものであった。また、2号溝の覆土からは、高台内に生産者別標示記号のある碗をはじめ近代遺物がまとまって出土している。
[塚田中原遺跡 要約]
遺跡は、県道足門前橋線の北側調査区、その南側調査区、そして現道の拡幅調査区に及んでいる。このために、南側調査区を塚田中原遺跡 区  区として、また現道の拡幅調査区を0区として調査にあたった。あくまでも便宜的処置である。本報告では、 区  区までである。検出された遺構は、竪穴住居跡24軒、竪穴状遺構1軒、土坑87基、ピット102基、井戸2基、溝7条などである。竪穴住居跡は9世紀後半から11世紀にかけてのものであるが、その主体となる時期は、9世紀後半から10世紀前半である。7・11・14・20号住居跡からややまとまって瓦が出土しているが、これらは上野国分僧寺の瓦を再利用したものである。

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