奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41247 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132429 件
( 前年度比 + 1744 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147554 件
( 前年度比 + 2114 件 )
現在の文化財論文件数
120575 件
( 前年度比 + 1580 件 )
現在の文化財動画件数
1298 件
( 前年度比 + 114 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1250 件
( 前年度比 + 200 件 )
※過去開催分含む

東谷・中島地区遺跡群

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/27520
引用表記 (公財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センタ−  2013 『栃木県埋蔵文化財調査報告361:東谷・中島地区遺跡群 』栃木県教育委員会他
(公財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センタ−  2013 『東谷・中島地区遺跡群 』栃木県埋蔵文化財調査報告361
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=享史|last=中村|first2=昌子|last2=今平|title=東谷・中島地区遺跡群 |origdate=2013-03-30|date=2013-03-30|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/27520|location=栃木県下野市紫474番地|ncid=BA61209431|series=栃木県埋蔵文化財調査報告|volume=361}} 閉じる
ファイル
書名 東谷・中島地区遺跡群
発行(管理)機関 (公財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター - 栃木県
書名かな とうや・なかじまいせきぐん
副書名 砂田遺跡(7〜9・11・14・15・17・20 〜 22・25・26・28 〜 42 区) / 都市再生機構による東谷・中島土地区画整理事業に伴う埋蔵文化財発掘調査
巻次 15
シリーズ名 栃木県埋蔵文化財調査報告
シリーズ番号 361
編著者名
編集機関
(公財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センタ− 
発行機関
栃木県教育委員会
(公財)とちぎ未来づくり財団
発行年月日 20130330
作成機関ID
郵便番号 329-0418
電話番号 0285-44-8441
住所 栃木県下野市紫474番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 東谷・中島地区遺跡群
遺跡名かな とうや・なかじまちくいせきぐん
本内順位
遺跡所在地 栃木県宇都宮市宇都宮市 上横田町字西原・砂田町字瀧他
所在地ふりがな うつのみやしKSみよことまちあざにしはら、すなたまちあざたき
市町村コード 09201
遺跡番号 406
北緯(日本測地系)度分秒 362959
東経(日本測地系)度分秒 1395415
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.5029 139.9009
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19990401-20081215
調査面積(㎡)
60221
調査原因
遺跡概要
種別
集落
時代
旧石器
縄文
弥生
主な遺構
陥し穴状土坑 17基
主な遺物
石器
土器
縄文土器
弥生
特記事項
種別
集落
時代
古墳
奈良
平安
主な遺構
竪穴建物跡163軒
掘立柱建物跡45棟
ピット869基
土坑721基
井戸14本
周溝遺構14基
溝174条
主な遺物
土師器
須恵器
土師質土器
陶器
器(鎌・鏃・斧・刀子・+釘など)
鉄滓
羽口
金銅製耳環
石製丸玉
石製臼玉
石製模造品
砥石
紡錘車
瓦塔
台石
編物石
磨石
特記事項 砂田遺跡は九十九 瀬川の両岸に展開 する集落である が、東岸の集落の 様相が明らかに なった。


主な時代:古墳時代中期〜奈良・平安時代
種別
集落
時代
不明
主な遺構
主な遺物
特記事項 主な時代:近世以降 時期不明
要約 [東谷・中島地区遺跡群 要約]
砂田遺跡は、古墳時代中期に集落の形成が始まる。権現山遺跡の豪族居館との関連が推測さ れる。7 区低地からは古墳時代から中近世までの遺物が出土しており、祭祀も含めた低地の利 用が想定される。後期・終末期に集落の形成が継続し、権現山遺跡や立野遺跡が終焉を迎える 中で、奈良時代に集落が発展する。奈良時代には九十九瀬川西岸の5区の掘立柱建物跡柱建物 群と対応するかのように東岸では九十九瀬川に沿って多数の竪穴建物が作られる。九十九瀬川 への通路も発見されており、集落での利用が想定される。平安時代は規模を縮小して集落が存 続し、瓦塔を持つ仏堂の存在が想定されるが、10 世紀を迎える前に終息する。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 140
ファイルダウンロード数 : 0

全国のイベント

外部出力