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石垣遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/61897
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.61897
引用表記 山元町教育委員会 2014 『山元町文化財調査報告書7:石垣遺跡』山元町教育委員会
山元町教育委員会 2014 『石垣遺跡』山元町文化財調査報告書7
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wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=隆博|last=山田|first2=祐|last2=藤田|title=石垣遺跡|origdate=2014-03-28|date=2014-03-28|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/61897|ncid=BB15361455|doi=10.24484/sitereports.61897|series=山元町文化財調査報告書|volume=7}} 閉じる
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書名 石垣遺跡
発行(管理)機関 山元町 - 宮城県
書名かな いしがきいせき
副書名 常磐自動車道(県境~山元間)建設工事に係る発掘調査報告書 ; 2
巻次
シリーズ名 山元町文化財調査報告書
シリーズ番号 7
編著者名
編集機関
山元町教育委員会
発行機関
山元町教育委員会
発行年月日 20140328
作成機関ID 04362
郵便番号
電話番号
住所
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 石垣遺跡
遺跡名かな いしがきいせき
本内順位
遺跡所在地 宮城県亘理郡山元町山寺字石垣
所在地ふりがな みやぎけんわたりぐんやまもとちょうやまでらあざいしがき
市町村コード 04362
遺跡番号 14069
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 375750
東経(世界測地系)度分秒 1405206
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 37.963888 140.868333
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20110905-20111101
調査面積(㎡)
4750
調査原因 常磐自動車道(県境~山元間)建設工事
遺跡概要
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
竪穴住居跡
主な遺物
土師器
特記事項 *古墳時代前期
*検出した遺構
竪穴住居跡2軒
種別
集落
時代
平安
主な遺構
竪穴住居跡
土坑
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 *9世紀後半
*検出した遺構
竪穴住居跡3軒
竪穴状遺構4軒
土坑1基
*墨書土器出土
種別
城館
時代
江戸
主な遺構
掘立柱建物跡
土坑
溝跡
井戸跡
ピット
主な遺物
特記事項 *種別:屋敷跡
*検出した遺構
掘立柱建物跡37棟
柱穴列跡4条
土坑3基
井戸跡1基
ピット多数
種別
散布地
時代
縄文
主な遺構
土坑
主な遺物
縄文土器
特記事項 *縄文時代中期
(大木9式)
*検出した遺構
土坑2基
要約  石垣遺跡は、亘理郡山元町山寺字石垣に所在し、山元町役場の西約800mに位置する。遺跡は、阿武隈山地から東に延びる丘陵の山寺川西側に広がる標高26~32mの中位段丘に立地する。遺跡の範囲は、東西60m、南北200mほどの広がりをもつ。
 調査の結果、竪穴住居跡5軒、竪穴状遺構4軒、掘立柱建物跡37棟、柱穴列4条、土坑32基、井戸跡1基、ピット256個を検出した。出土遺物は、縄文土器、土師器、須恵器、陶磁器、石器などである。
 縄文時代の遺構には、土坑2基があり、その形状から陥し穴と考えられる。出土遺物から時期がわかるものは、縄文時代中期後葉と想定される。
 古墳時代の遺構には、竪穴住居跡2棟があり、出土遺物から古墳時代前期のものと考えられる。
 平安時代の遺構には、竪穴住居跡3軒、竪穴状遺構4軒、土坑1基がある。これらの遺構からは9世紀後半代の遺物が出土し、これらは同じ年代幅におさまることから、同時期に遺構が共存した可能性が考えられる。特にSK2では、土師器・須恵器が一括廃棄された状態で出土し、中には墨書土器(「田」・「人」)も出土した。
 近世の遺構には、掘立柱建物跡37棟、柱穴列跡4条、土坑3基、井戸跡1基、ピット多数がある。建物跡はA区からB区北側までの範囲に分布し、特にA区中央とB区北側で建物跡が密集する状況が確認された。建物は幾度も建て替えが行われ、屋敷が長期間存続していた可能性が考えられる。
 石垣遺跡の周辺には、北に涌沢遺跡、南に的場遺跡がある。石垣遺跡は、湧沢遺跡とほぼ同じ年代幅をもつ平安時代の竪穴住居跡と土器廃棄土坑が確認され、的場遺跡とほぼ同じ年代幅をもつ竪穴住居跡と柱掘方の規模や柱寸法に共通性のある掘立柱建物跡が認められた。各遺跡は山寺川と涌沢川によって隔てられるものの、涌沢遺跡が平安時代、的場遺跡が古墳時代から近世において石垣遺跡と一連の集落であったと推定される。

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