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京都府遺跡調査報告集 第150冊

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/27441
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.27441
引用表記 公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ− 2012 『京都府遺跡調査報告集150:京都府遺跡調査報告集 第150冊』公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ−
公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ− 2012 『京都府遺跡調査報告集 第150冊』京都府遺跡調査報告集150
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書名 京都府遺跡調査報告集 第150冊
発行(管理)機関 (公財)京都府埋蔵文化財調査研究センター - 京都府
書名かな きょうとふいせきちょうさほうこくしゅう
副書名
巻次
シリーズ名 京都府遺跡調査報告集
シリーズ番号 150
編著者名
編集機関
公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ−
発行機関
公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ−
発行年月日 20120331
作成機関ID
郵便番号 617-0002
電話番号 075-933-3877
住所 京都府向日市寺戸町南垣内40番の3
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 野条遺跡第17・19次
遺跡名かな のじょういせき
本内順位
遺跡所在地 京都府南丹市八木町野条
所在地ふりがな なんたんしやぎちょうのじょう
市町村コード 26213
遺跡番号 6,59
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 350533
東経(世界測地系)度分秒 1353201
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.0925 135.533611
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20100705-20101203
20110817-20111222
調査面積(㎡)
1950
1130
調査原因 ほ場整備
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
主な遺構
主な遺物
弥生土器
特記事項
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
掘立柱建物跡
柵列
主な遺物
土師器
須恵器
瓦器
特記事項
遺跡名 長岡京跡右京第970・1007・1024次・下海印寺遺跡
遺跡名かな ながおかきょうあと
本内順位
遺跡所在地 長岡京市下海印寺西条
所在地ふりがな ながおかきょうししもかいいんじにしじょう
市町村コード 26209
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 345504.77
東経(世界測地系)度分秒 1354053.31
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.917991 135.681474
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20080617-20090217
20090408-20091222
20100823-20101110
20100118-20100225
20100601-20101028
調査面積(㎡)
4000
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
時代
主な遺構
主な遺物
特記事項 遺跡名かな:ながおかきょうあとうきょうだいきゅうひゃくななじゅう・ せんなな・せんにじゅうよんじ・しもかいいんじいせき
遺跡名 長岡京跡右京第1024次・伊賀寺遺跡
遺跡名かな ながおかきょうあと
本内順位
遺跡所在地 長岡京市下海印寺川向井
所在地ふりがな ながおかきょうししもかいいんじかわむかい
市町村コード 26209
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 345459
東経(世界測地系)度分秒 1354103
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.916388 135.684166
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20111205-20111216
調査面積(㎡)
300
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
時代
主な遺構
主な遺物
特記事項 遺跡名かな:ながおかきょうあとうきょうだいせんにじゅうよんじ・いがじいせき
遺跡名 長岡京跡右京第1024次・奥海印寺遺跡
遺跡名かな ながおかきょうあと
本内順位
遺跡所在地 長岡京市奥海印寺荒堀
所在地ふりがな ながおかきょうしあらほり
市町村コード 26209
遺跡番号 68
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 345519
東経(世界測地系)度分秒 1354024
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.921944 135.673333
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20120112
20120216
調査面積(㎡)
5
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
時代
主な遺構
主な遺物
特記事項 遺跡名かな:ながおかきょうあとうきょうだいせんにじゅうよんじ・おくかいいんじいせき
遺跡名 上狛北遺跡第2次
遺跡名かな かみこまきたいせき
本内順位
遺跡所在地
所在地ふりがな きづがわしやましろちょうかみこまたからもと・にしうらだい
市町村コード 26214
遺跡番号 84
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 344513
東経(世界測地系)度分秒 1354856
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.753611 135.815555
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20100824-20110309
調査面積(㎡)
1630
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
竪穴式住居跡
土坑
主な遺物
土師器
特記事項
種別
集落
時代
奈良
主な遺構
掘立柱建物跡
土坑
主な遺物
木簡
墨書土器
土師器
須恵器
銅椀片
特記事項
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
ピット
主な遺物
瓦器
瓦質土器
陶磁器
特記事項
要約 [野条遺跡第17・19次 要約]
弥生時代後期の溝や奈良〜平安時代の建物群を検出した。弥生時代後期の溝は灌漑を目的に掘削されたと推定され、溝の北側に展開する同時期の集落の境界を画する溝であったと考えられる。また、この溝からは集落の境界で行われた祭祀に伴う土器が出土した。
[長岡京跡右京第970・1007・1024次・奥海印寺遺跡・下海印寺遺跡・伊賀寺遺跡 要約]
 弥生時代末~古墳時代初頭および古墳時代後期の竪穴式住居跡を検出した。
 また、平安時代末期~鎌倉時代にかけての堀に囲まれる屋敷跡を確認した。屋敷地は一辺約50mの方形に復元できる。堀と考えられる溝には土橋が架けられ、溝の内側には板塀が設けられている。屋敷地内には掘立柱建物群が分布する。屋敷地の時期は溝等の出土遺物から11世紀末頃から12世紀中頃と考えられる。
 溝は近世の阿弥陀寺の区画溝として利用されていたようであり、埋土から近世陶磁器がまとまって出土した。
[上狛北遺跡第2次 要約]
 古墳時代・奈良時代・中世の各時期の遺構を検出した。古墳時代については、竈をもつ竪穴式住居跡を8基検出した。これまで同地域で木津川左岸で未確認であった古墳時代中~後期の集落跡を確認した。奈良時代については、総延長100m以上を測る溝のほか、この溝と同じ計画方位をもつ掘立柱建物跡や建物に先行する土坑を検出した。この土坑からは多量の土器とともに木簡や木簡の削り屑が出土した。これらの遺構・遺物は恭仁宮とほぼ同じ時期であることからこれまで不明であった恭仁京域との関連が想定される。

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