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中条遺跡発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/42686
引用表記 刈谷市教育委員会 2017 『中条遺跡発掘調査報告書』刈谷市教育委員会
刈谷市教育委員会 2017 『中条遺跡発掘調査報告書』
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=堅証|last=鵜飼|first2=倫子|last2=新美|first3=義敏|last3=平井|first4=あすか|last4=岩月|first5=郁乃|last5=佐野|title=中条遺跡発掘調査報告書|origdate=2017-03-31|date=2017-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/42686|location=愛知県刈谷市東陽町1-1|ncid=BB21670545|volume=2: 平成10年度調査}} 閉じる
ファイル
書名 中条遺跡発掘調査報告書
発行(管理)機関 刈谷市 - 愛知県
有償頒布・配布ページ https://www.city.kariya.lg.jp/kankobunka/rekishibunka/kankoubutu/kankobutsu.html
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな なかじょういせきはっくつちょうさほうこくしょ
副書名
巻次 2: 平成10年度調査
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
刈谷市教育委員会
発行機関
刈谷市教育委員会
発行年月日 20170331
作成機関ID
郵便番号 448-8501
電話番号 0566-62-1037
住所 愛知県刈谷市東陽町1-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 中条遺跡(平成10年度)
遺跡名かな なかじょういせき
本内順位
遺跡所在地 愛知県刈谷市重原本町5丁目地内
所在地ふりがな あいちけんかりやししげはらほんまちごちょうめちない
市町村コード 23210
遺跡番号 530066
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 345931.5
東経(世界測地系)度分秒 1370123.5
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.992083 137.023194
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19980401-19990331
調査面積(㎡)
4500
調査原因 土地区画整理事業計画
遺跡概要
種別
集落
時代
古墳
奈良
主な遺構
竪穴建物66
掘立柱建物21
土坑11
ピット13
主な遺物
須恵器
土師器
製塩土器
銅製錘
帯金具
円面硯
刀子
特記事項
種別
集落
時代
鎌倉
主な遺構
溝5
土坑5
ピット9
主な遺物
山茶椀
中世陶器
中世土師器
特記事項
種別
集落
時代
室町
主な遺構
溝9
土坑1
主な遺物
古瀬戸
中国製陶磁器
中世土師器
特記事項
要約  中条遺跡は市域を西流する猿渡川右岸の台地上に立地する。平成10年度調査区は遺跡の南東部にあたる区域約4,500㎡で、発掘調査によって古代から中世の遺構・遺物が多数検出された。
 古代では、古墳時代後期から奈良時代の竪穴建物や掘立柱建物跡が多数検出された。須恵器や土師器とともに製塩土器が多量に出土したほか、この地域では類例の少ない銅製の錘(権)が出土した。遺構に官衙的様相はみられないが、律令期の官人に関係する帯金具(鉸具)や円面硯、刀子等が出土しており、当時の集落経営にたずさわっていたことが伺われる。
 中世では、屋敷地を区画する大小の溝や土坑が検出され、中世前期の山茶碗類や常滑甕、中世土師器が多く出土した。中でも前年度調査区から続く最大幅約5m、最大深約2mの大溝は調査区中央で台地端部に向かって90度向きを変え、他の溝もそれにあわせて区画を形成していた。これら大規模工事の痕跡は、当時の遺跡周辺が重原荘の中心地域であったことの傍証となるものである。中世後期においても、埋め戻された大溝に重複・並行する複数の溝によって新たな方形区画や帯状の空間が形成され、古瀬戸の陶器や中国製磁器等が出土していることから、引き続き有力者の居館であったと推測される。

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