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市原市西野遺跡第1次発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/31471
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.31471
引用表記 財団法人千葉県文化財センター 1996 『千葉県文化財センター調査報告291:市原市西野遺跡第1次発掘調査報告書』財団法人千葉県文化財センター
財団法人千葉県文化財センター 1996 『市原市西野遺跡第1次発掘調査報告書』千葉県文化財センター調査報告291
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書名 市原市西野遺跡第1次発掘調査報告書
発行(管理)機関 (公財)千葉県教育振興財団文化財センター - 千葉県
書名かな いちはらしにしのいせきだいいちじはっくつちょうさほうこくしょ
副書名
巻次
シリーズ名 千葉県文化財センター調査報告
シリーズ番号 291
編著者名
編集機関
財団法人千葉県文化財センター
発行機関
財団法人千葉県文化財センター
発行年月日 19960329
作成機関ID
郵便番号 284-0003
電話番号 043-422-8811
住所 千葉県四街道市鹿渡809-2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 西野遺跡
遺跡名かな にしのいせき
本内順位
遺跡所在地 千葉県市原市西野字東口224-1
所在地ふりがな ちばけんいちはらしにしのあざひがしぐち224-1
市町村コード 12219
遺跡番号 72
北緯(日本測地系)度分秒 352857
東経(日本測地系)度分秒 1400618
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.4858 140.1018
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19951002-19951026
調査面積(㎡)
500
調査原因 学術調査
遺跡概要
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
竪穴住居6
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 総柱式掘立柱建物が検出された。
種別
官衙
時代
奈良
平安
主な遺構
掘立柱建物跡1
掘立柱1
主な遺物
土錘
特記事項
要約 [西野遺跡 要約]
西野遺跡は養老川下流域左岸で、標高8m〜10mの沖積低地に立地する。本遺跡は上総国海上郡衙の推定地で、河川交通による物資輸送の便を図っての選地とみられる。地方官衙の様相を明らかにする目的で、学術上の確認調査が実施された。その結果、奈良・平安時代では、掘立柱建物が1棟、掘立柱跡1基、土坑3基が検出された。掘立柱建物は3間×2間、総柱の高床構造であり、正倉とみられる。掘り方は方形で大きい。掘立柱跡の周囲には対応する柱穴がみられないことから、柱間10尺以上の大型建物か、竿状のものを立てた遺構のどちらかである。奈良・平安時代の前後の時期をみると、6・7世紀代には集落があるが、8世紀代には継続しない。10世紀以降、中世には溝状遺構が増加することから、耕地化したとみられる。

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