奈良文化財研究所 ホーム
キーワードから探す
一覧から探す
その他
おすすめ
PDFがある書誌登録数
41108 件
( 発行機関数 755 機関 )
現在の書誌登録数
132386 件
( 前年度比 + 1695 件 )
( 発行機関数 1917 機関 )
現在の遺跡抄録件数
147501 件
( 前年度比 + 2066 件 )
現在の文化財論文件数
120543 件
( 前年度比 + 1540 件 )
現在の文化財動画件数
1296 件
( 前年度比 + 112 件 )
( 登録機関数 117 機関 )
文化財イベント件数
1239 件
( 前年度比 + 188 件 )
※過去開催分含む

東熊野苗畑遺跡発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/70124
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.70124
引用表記 公益財団法人山形県埋蔵文化財センター 2020 『山形県埋蔵文化財センター調査報告書237:東熊野苗畑遺跡発掘調査報告書』公益財団法人山形県埋蔵文化財センター
公益財団法人山形県埋蔵文化財センター 2020 『東熊野苗畑遺跡発掘調査報告書』山形県埋蔵文化財センター調査報告書237
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=秀樹|last=水戸部|title=東熊野苗畑遺跡発掘調査報告書|origdate=2020-03-31|date=2020-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/70124|location=山形県上山市中山字壁屋敷5608 番地|ncid=BB29890159|doi=10.24484/sitereports.70124|series=山形県埋蔵文化財センター調査報告書|volume=237}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 東熊野苗畑遺跡発掘調査報告書
発行(管理)機関 (公財)山形県埋蔵文化財センター - 山形県
書名かな ひがしくまのなえばたけいせきはっくつちょうさほうこくしょ
副書名
巻次
シリーズ名 山形県埋蔵文化財センター調査報告書
シリーズ番号 237
編著者名
編集機関
公益財団法人山形県埋蔵文化財センター
発行機関
公益財団法人山形県埋蔵文化財センター
発行年月日 20200331
作成機関ID
郵便番号 9993246
電話番号 0236725301
住所 山形県上山市中山字壁屋敷5608 番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
20200702位置情報修正
所収論文
所収遺跡
遺跡名 東熊野苗畑遺跡
遺跡名かな ひがしくまのなえばたけいせき
本内順位
遺跡所在地 山形県村山市大字本飯田字熊ノ山
所在地ふりがな やまがたけんむらやましおおあざもといいだあざくまのやま
市町村コード 06208
遺跡番号 094
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 383138.77
東経(世界測地系)度分秒 1402301.80
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 38.527436 140.383833
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20100518-20101130
調査面積(㎡)
2250
調査原因 東北中央自動車道(東根~尾花沢)改築事業
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
川1
主な遺物
縄文土器
石器
特記事項 (文化財認定箱数:10)
種別
集落
時代
平安
主な遺構
竪穴建物1
川1
主な遺物
土師器
須恵器
赤焼土器
特記事項
種別
時代
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
掘立柱建物2
主な遺物
特記事項
要約  古代から中世にかけての遺構、および縄文時代から近世に属する遺物などが出土した。遺構・遺物の数量は多くはないが、本遺跡周辺での当時の営みが垣間見れる成果を得たと言える。
 縄文時代に構築された遺構は確認できなかったが、早期中葉と中期中葉、晩期中葉の土器と時期の判別が困難な石器などが川SG55 などから出土した。
 早期・中期・晩期と断続的ではあるものの、縄文時代において本遺跡およびその周囲で集落などが営まれ、様々な活動の舞台となっていたことが分かった。
 古代では、8 世紀後半から9 世紀前半の土器などが出土し、9 世紀前半のものが主体であった。古代に該当する確実な遺構は、9 世紀前半の竪穴建物ST10 のみである。また、川SG55 の東端部に遺物集中域があり、多数の遺物が出土した。
 中近世のものと推測される掘立柱建物SB25・67 が検出された。ただし、遺物は出土しなかった。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 420
ファイルダウンロード数 : 294

全国のイベント

外部出力