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中関屋遺跡発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/70123
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.70123
引用表記 公益財団法人山形県埋蔵文化財センター 2020 『山形県埋蔵文化財センター調査報告書236:中関屋遺跡発掘調査報告書』公益財団法人山形県埋蔵文化財センター
公益財団法人山形県埋蔵文化財センター 2020 『中関屋遺跡発掘調査報告書』山形県埋蔵文化財センター調査報告書236
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書名 中関屋遺跡発掘調査報告書
発行(管理)機関 (公財)山形県埋蔵文化財センター - 山形県
書名かな なかせきやいせきはっくつちょうさほうこくしょ
副書名
巻次
シリーズ名 山形県埋蔵文化財センター調査報告書
シリーズ番号 236
編著者名
編集機関
公益財団法人山形県埋蔵文化財センター
発行機関
公益財団法人山形県埋蔵文化財センター
発行年月日 20200331
作成機関ID
郵便番号 9993246
電話番号 0236725301
住所 山形県上山市中山字壁屋敷5608 番地
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
20200701位置情報修正
所収論文
所収遺跡
遺跡名 中関屋遺跡
遺跡名かな なかせきやいせき
本内順位
遺跡所在地 山形県新庄市大字金沢字中関屋
所在地ふりがな やまがたけんしんじょうしおおあざかなざわあざなかせきや
市町村コード 06205
遺跡番号 205-128
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 384605.31
東経(世界測地系)度分秒 1401835.63
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 38.768141 140.309897
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20190617-20190827
調査面積(㎡)
1840
調査原因 山形県立新庄病院改築整備事業
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
遺物包含層
主な遺物
縄文土器
石器
特記事項 平安時代では、掘立柱建物跡を中心とし、周囲を溝跡で囲われる集落跡が明らかになった。縄文時代では、前期初頭の縄文土器と石器が出土した。
(文化財認定箱数:8)
種別
集落
時代
平安
主な遺構
掘立柱建物跡3
土坑
溝跡1
柱穴・ピット
主な遺物
須恵器
土師器
金属製品(銭貨)
特記事項
要約  中関屋遺跡は、平安時代の集落跡である。検出された遺構は、掘立柱建物跡3棟、土坑、溝跡、柱穴群などである。建物跡は、2間×2間の総柱になるもの、3間×2間の間取りになるものが認められた。建物跡が分布する北側から西側にかけて溝跡がめぐり、集落を囲む構成をとっている。建物跡は、溝跡を伴わない古い時期と、溝跡に囲まれる新しい時期の変遷が想定される。
 出土した遺物であるが、須恵器、土師器、金属製品(銭貨など)がある。須恵器・土師器は、平安時代の9世紀中頃から後半にかけての時期と推定される。須恵器には転用硯として使用された蓋が認められた。新庄市内で、今まで不明な部分が多かった平安時代の集落の様相が明らかとなった。

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