東富岡・太窪遺跡 東富岡・中島遺跡 粟窪・林窪遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/143075
DOI 二次元コード
二次元コードダウンロード
※二次元コードが有効化するまでにPDFの登録から2週間程度かかる場合があります。
DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.143075
引用表記 公益財団法人かながわ考古学財団 2025 『かながわ考古学財団調査報告345:東富岡・太窪遺跡 東富岡・中島遺跡 粟窪・林窪遺跡』公益財団法人かながわ考古学財団
公益財団法人かながわ考古学財団 2025 『東富岡・太窪遺跡 東富岡・中島遺跡 粟窪・林窪遺跡』かながわ考古学財団調査報告345
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=吉行|last=木村|first2=実佳子|last2=川嶋|first3=淳一|last3=宮坂|first4=文明|last4=井関|first5=康行|last5=出縄|title=東富岡・太窪遺跡 東富岡・中島遺跡 粟窪・林窪遺跡|origdate=2025-03-15|date=2025-03-15|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/143075|location=神奈川県横浜市南区中村町3-191-1|doi=10.24484/sitereports.143075|series=かながわ考古学財団調査報告|volume=345}} 閉じる
ファイル
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
書名 東富岡・太窪遺跡 東富岡・中島遺跡 粟窪・林窪遺跡
発行(管理)機関 (公財)かながわ考古学財団 - 神奈川県
書名かな ひがしとみおか・ふとくぼいせき ひがしとみおか・なかじまいせき あわくぼ・はやしくぼいせき
副書名 新東名高速道路(伊勢原市粟窪地区)建設事業に伴う発掘調査
巻次
シリーズ名 かながわ考古学財団調査報告
シリーズ番号 345
編著者名
編集機関
公益財団法人かながわ考古学財団
発行機関
公益財団法人かながわ考古学財団
発行年月日 20250315
作成機関ID
郵便番号 2320033
電話番号 0452528689
住所 神奈川県横浜市南区中村町3-191-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 東富岡・太窪遺跡
遺跡名かな ひがしとみおか・ふとくぼいせき
本内順位 1
遺跡所在地 神奈川県伊勢原市東富岡地先
所在地ふりがな かながわけんいせはらしひがしとみおかちさき
市町村コード 14214
遺跡番号 71
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352443.3
東経(世界測地系)度分秒 1391850.6
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.412027 139.314055
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20101001-20111215
20110616-20110831
20160501-20160615
20171201-20180515
調査面積(㎡)
2644
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
近世(細分不明)
主な遺構
段切り3
溝状遺構34
硬化面2
畝状遺構3
土坑24
ピット25
流路1
主な遺物
磁器
陶器
土器
金属製品
銭貨
石製品
特記事項 中世から続く1区流路発見。17~19世紀の耕作地。
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
溝状遺構1
畝状遺構2
土坑18
ピット32
流路1
杭列6
主な遺物
磁器
陶器
土器
金属製品
銭貨
木製品
特記事項 1区流路と杭列の発見。13~16世紀の耕作地。
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
竪穴住居址1
掘建柱建物址1
溝状遺構2
畝状遺構8
硬化面1
土坑35
焼土址1
ピット96
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
金属製品
特記事項
種別
集落
時代
弥生
古墳
主な遺構
土坑1
遺物集中1
主な遺物
土器
特記事項
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
土坑5
主な遺物
土器
特記事項
種別
集落
時代
旧石器
主な遺構
遺物集中
主な遺物
石器
炭化物
特記事項 B2層中心とする層からの遺物集中の確認。
遺跡名 東富岡・中島遺跡
遺跡名かな ひがしとみおか・なかじまいせき
本内順位 2
遺跡所在地 神奈川県伊勢原市東富岡地先
所在地ふりがな かながわけんいせはらしひがしとみおかちさき
市町村コード 14214
遺跡番号 71
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352438.69
東経(世界測地系)度分秒 1391849.24
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.410747 139.313677
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20101216-20110331
20120101-20120131
20130601-20130831
調査面積(㎡)
908
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
近世(細分不明)
主な遺構
段切り2
溝状遺構3
畝状遺構2
土坑5
ピット7
主な遺物
磁器
陶器
土器
金属製品
銭貨
石製品
特記事項
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
土坑5
ピット31
主な遺物
磁器
陶器
土器
金属製品
銭貨
木製品
特記事項
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
溝状遺構2
土坑8
ピット20
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
特記事項
種別
集落
時代
弥生
古墳
主な遺構
主な遺物
土器
特記事項
種別
集落
時代
縄文
主な遺構
土坑3
ピット12
主な遺物
土器
石器
特記事項 植物加工、石器製作場に関係する場所の可能性。土器は断続的に早期から後期。
種別
集落
時代
旧石器
主な遺構
遺物集中
主な遺物
石器
炭化物
特記事項 L1H層上部より石器1点出土。
遺跡名 粟窪・林窪遺跡
遺跡名かな あわくぼ・はやしくぼいせき
本内順位 3
遺跡所在地 神奈川県伊勢原市粟窪地先
所在地ふりがな かながわけんいせはらしあわくぼちさき
市町村コード 14214
遺跡番号 71
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 352439.32
東経(世界測地系)度分秒 1391852.61
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.410922 139.314613
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20120601-20120930
20130101-20130331
20130915-20140615
20191001-20191031
調査面積(㎡)
3913
調査原因 道路建設
遺跡概要
種別
集落
時代
近世(細分不明)
主な遺構
掘建柱建物址1
竪穴状遺構3
溝状遺構39
畝状遺構2
段切り2
井戸3
土坑120
ピット568
焼土址3
硬化面4
杭列2
主な遺物
磁器
陶器
土器
金属製品
銭貨
石製品
特記事項 近世後半の耕作址や地割りの土地利用。
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
段切り2
竪穴状遺構41
溝状遺構27
畝状遺構1
井戸9
硬化面5
地下式坑5
土坑151
集石1
ピット2067
焼土址4
主な遺物
磁器
陶器
土器
金属製品
銭貨
木製品
特記事項 荷駄鞍・連破下駄・田下駄・木地皿などの木製品が出土。
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
土坑5
ピット5
遺物集中
主な遺物
土師器
須恵器
灰釉陶器
特記事項
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
主な遺物
土器
特記事項
種別
時代
弥生
主な遺構
主な遺物
土器
特記事項
種別
集落
時代
旧石器
主な遺構
主な遺物
石器
特記事項
要約  東富岡・太窪遺跡は富岡丘陵から字林台へ続く台地の北側縁辺、北東に位置する。近世から中世にかけて東西に流れる流路が存在しており、近世には流路の東側において畑作が営まれていたことが明らかとなった。中世の流路に護岸のためと思われる杭列が打ち込まれていたことから、付近に何らかの遺構が存在している可能性もある。奈良・平安時代の畝状遺構や土坑、近世の段切りや土坑が発見され、長期にわたって農地として利用されていたことが判明した。また、古墳時代以前は中央部が谷地形を呈していたことが明らかとなり、土坑が1基確認された。縄文時代は土坑が発見され、早期後半から後期中葉の土器が出土している。植物加工、石器製作場に関係する場所の可能性が考えられる。旧石器時代はB2層中心とする層から遺物集中が確認された。
 東富岡・中島遺跡は富岡丘陵の南東に立地する。近世には段切りがなされ平場で畑作が営まれていたことが判明した。中世頃は南東に傾斜する地形を呈しており、この地は利用されていなかったと思われる。古代には区画溝が掘られ、その内側で畑作が営まれていた。縄文時代は土坑とピットが確認され、断続的に早期から後期にかけての土器が出土している。植物加工、石器製作場に関係する場所の可能性が考えられる。旧石器時代はL1H層上部より石器1点が出土した。
 粟窪・林窪遺跡は富岡丘陵から字林台へ続く台地の南側に広がる谷戸から裾部に位置している。近世の遺構は溝状遺構が主体であり、中世は谷戸を埋めた部分から15世紀代の遺物を含む竪穴状遺構や土坑、井戸といった耕作に関連する遺構が検出されており、屋敷が営まれていたことが判明した。土坑からは荷駄鞍・下駄・皿などの木製品が廃棄された状態で出土している。中世の生活を考える上で貴重な資料を得ることが出来た。奈良・平安時代の遺構は竪穴住居跡・畝状遺構などが発見された。畝状遺構は遺物集中箇所の下から見つかっていることから、この地が一時的では無く、ある程度の期間にわたって利用されていたことがわかった。縄文時代は早期後半から後期前葉に亘る土器が出土している。

関連文化財データ一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細ページ表示回数 : 189
ファイルダウンロード数 : 360

全国のイベント

>> 確認する

外部出力

BibTeX
TSV
JSON