URL |
https://sitereports.nabunken.go.jp/12020
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DOI 2D code |
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DOI |
http://doi.org/10.24484/sitereports.12020
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For Citation |
財団法人松山市文化・スポーツ振興財団埋蔵文化財センター 2012 『松山市文化財調査報告書158:久米高畑遺跡38次・39次・43次・46次調査』松山市教育委員会
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財団法人松山市文化・スポーツ振興財団埋蔵文化財センター 2012 『久米高畑遺跡38次・39次・43次・46次調査』松山市文化財調査報告書158
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wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book|和書|first=雄一|last=橋本|first2=朋子|last2=大西|title=久米高畑遺跡38次・39次・43次・46次調査|origdate=2012-03-31|date=2012-03-31|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/12020|location=松山市南斎院町乙67番地6|ncid=BA89425717|ncid=AN00153778|doi=10.24484/sitereports.12020|series=松山市文化財調査報告書|volume=158}}
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File |
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Title |
久米高畑遺跡38次・39次・43次・46次調査 |
Participation-organizations |
松山市
- 愛媛県
|
Alternative |
くめたかばたけいせき38じ・39じ・43じ・46じちょうさ |
Subtitle |
国庫補助市内遺跡発掘調査報告書 |
Volume |
|
Series |
松山市文化財調査報告書 |
Series Number |
158 |
Author |
|
Editorial Organization |
財団法人松山市文化・スポーツ振興財団埋蔵文化財センター
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Publisher |
松山市教育委員会
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Publish Date |
20120331 |
Publisher ID |
38201 |
ZIP CODE |
791-8032 |
TEL |
089-923-6363 |
Aaddress |
松山市南斎院町乙67番地6 |
Report Type Codes |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
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NII Type |
Research Paper |
Research Report |
掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) |
NCID |
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JP Number |
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Other Resource |
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Remark |
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Articles |
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Site |
Site Name |
久米高畑遺跡 第38次 |
Site Name Transcription |
くめたかばたけいせき |
Order in book |
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Address |
愛媛県松山市南久米町768番1の一部 |
Address Transcription |
えひめけんまつやましみなみくめまち |
City Code |
38201 |
Site Number |
|
North Latitude (JGD) |
|
East Longitude (JGD) |
|
North Latitude (WGS) |
334834 |
East Longitude (WGS) |
1324807 |
Dd X Y |
33.809444 132.801944
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
Research Period |
19971120-19971218
|
Research Space |
11
|
Research Causes |
重要遺跡確認調査 |
OverView |
Site Type |
官衙
|
Main Age |
古代(細分不明)
|
Main Features |
正倉院の東濠
|
Main Foundings |
須恵器
土師器
|
Remark |
久米官衙遺跡群の代表的な施設である正倉院の濠と敷地内部における4件の発掘調査報告である。38次で東濠北部、39次調査で北濠中央西寄りの地点で濠の位置を確定し、各濠の全長と方向角の正確な数値を得た。43次と46次はともに敷地内部における調査である。46次では官衙関連遺構は検出されなかったことから、付近は正倉院の広場に当たっている可能性が高いと判断している。43次で検出の2棟並びの東西棟は、南濠の北約30m地点に東西に並び建つ倉と屋の列を構成する掘立柱建物である。このうち、東側の掘立001には、後に間仕切りのための柱が1本追加されており、その際に地下に据え付けられたとみられる礎石を1基検出している。このほか、この建物に重複する掘立003においては、柱穴の底に礫が敷き詰められた状態が確認されており、礎石の根石ではないかとする見方もあって注目している。ただし、様々な視点から検証した結果、礎石建物か否かの結論を得るには至らず、総柱構造ではなく側柱建物ではないかと推測するに至っている。時期的に古い特徴も併せ持つ建物であることから、遺跡群Ⅱ期以前に遡るとする正倉院の起源を考える上で重要な建物であると認識しているが、得られた情報が断片的すぎたため、結論を得ることはできなかった。なお、43次ではこのほかに中世の溝1条と墓1基を検出している。ともに12世紀後半から13世紀代に付近で耕作地の開発が本格的に始まった頃の様相を示す遺構である。溝出土鉄製品と墓出土土師器の存在は重要である。 |
Site Type |
官衙
|
Main Age |
弥生
古墳
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Main Features |
土坑
柱穴
|
Main Foundings |
|
Remark |
|
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Site Name |
久米高畑遺跡 第39次 |
Site Name Transcription |
くめたかばたけいせき |
Order in book |
|
Address |
愛媛県松山市南久米町779番1の一部 |
Address Transcription |
えひめけんまつやましみなみくめまち |
City Code |
38201 |
Site Number |
|
North Latitude (JGD) |
|
East Longitude (JGD) |
|
North Latitude (WGS) |
334835 |
East Longitude (WGS) |
1324803 |
Dd X Y |
33.809722 132.800833
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
Research Period |
19971120-19971218
|
Research Space |
45
|
Research Causes |
重要遺跡確認調査 |
OverView |
Site Type |
官衙
|
Main Age |
古代(細分不明)
|
Main Features |
正倉院の北濠
低地
|
Main Foundings |
須恵器
土師器
弥生土器
瓦
|
Remark |
久米官衙遺跡群の代表的な施設である正倉院の濠と敷地内部における4件の発掘調査報告である。38次で東濠北部、39次調査で北濠中央西寄りの地点で濠の位置を確定し、各濠の全長と方向角の正確な数値を得た。43次と46次はともに敷地内部における調査である。46次では官衙関連遺構は検出されなかったことから、付近は正倉院の広場に当たっている可能性が高いと判断している。43次で検出の2棟並びの東西棟は、南濠の北約30m地点に東西に並び建つ倉と屋の列を構成する掘立柱建物である。このうち、東側の掘立001には、後に間仕切りのための柱が1本追加されており、その際に地下に据え付けられたとみられる礎石を1基検出している。このほか、この建物に重複する掘立003においては、柱穴の底に礫が敷き詰められた状態が確認されており、礎石の根石ではないかとする見方もあって注目している。ただし、様々な視点から検証した結果、礎石建物か否かの結論を得るには至らず、総柱構造ではなく側柱建物ではないかと推測するに至っている。時期的に古い特徴も併せ持つ建物であることから、遺跡群Ⅱ期以前に遡るとする正倉院の起源を考える上で重要な建物であると認識しているが、得られた情報が断片的すぎたため、結論を得ることはできなかった。なお、43次ではこのほかに中世の溝1条と墓1基を検出している。ともに12世紀後半から13世紀代に付近で耕作地の開発が本格的に始まった頃の様相を示す遺構である。溝出土鉄製品と墓出土土師器の存在は重要である。 |
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Site Name |
久米高畑遺跡 第43次 |
Site Name Transcription |
くめたかばたけいせき |
Order in book |
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Address |
愛媛県松山市来住町1153番2・1153番13 |
Address Transcription |
えひめけんまつやましみなみくめまち |
City Code |
38201 |
Site Number |
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North Latitude (JGD) |
|
East Longitude (JGD) |
|
North Latitude (WGS) |
334832 |
East Longitude (WGS) |
1324805 |
Dd X Y |
33.808888 132.801388
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※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
Research Period |
19990804-19991104
|
Research Space |
282.11
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Research Causes |
個人住宅による本発掘調査 |
OverView |
Site Type |
官衙
|
Main Age |
古代(細分不明)
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Main Features |
正倉院の掘立柱建物2棟
|
Main Foundings |
須恵器
瓦
|
Remark |
久米官衙遺跡群の代表的な施設である正倉院の濠と敷地内部における4件の発掘調査報告である。38次で東濠北部、39次調査で北濠中央西寄りの地点で濠の位置を確定し、各濠の全長と方向角の正確な数値を得た。43次と46次はともに敷地内部における調査である。46次では官衙関連遺構は検出されなかったことから、付近は正倉院の広場に当たっている可能性が高いと判断している。43次で検出の2棟並びの東西棟は、南濠の北約30m地点に東西に並び建つ倉と屋の列を構成する掘立柱建物である。このうち、東側の掘立001には、後に間仕切りのための柱が1本追加されており、その際に地下に据え付けられたとみられる礎石を1基検出している。このほか、この建物に重複する掘立003においては、柱穴の底に礫が敷き詰められた状態が確認されており、礎石の根石ではないかとする見方もあって注目している。ただし、様々な視点から検証した結果、礎石建物か否かの結論を得るには至らず、総柱構造ではなく側柱建物ではないかと推測するに至っている。時期的に古い特徴も併せ持つ建物であることから、遺跡群Ⅱ期以前に遡るとする正倉院の起源を考える上で重要な建物であると認識しているが、得られた情報が断片的すぎたため、結論を得ることはできなかった。なお、43次ではこのほかに中世の溝1条と墓1基を検出している。ともに12世紀後半から13世紀代に付近で耕作地の開発が本格的に始まった頃の様相を示す遺構である。溝出土鉄製品と墓出土土師器の存在は重要である。 |
Site Type |
集落
|
Main Age |
古墳
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Main Features |
掘立柱建物1棟
|
Main Foundings |
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Remark |
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Site Type |
集落
|
Main Age |
中世(細分不明)
|
Main Features |
溝
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Main Foundings |
鉄製品・土師器の皿
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Remark |
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Site Type |
集落
|
Main Age |
中世(細分不明)
|
Main Features |
墓
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Main Foundings |
土師器の坏と皿
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Remark |
|
Site Type |
集落
|
Main Age |
中世(細分不明)
|
Main Features |
低地
|
Main Foundings |
陶磁器
|
Remark |
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Site Name |
久米高畑遺跡 第46次 |
Site Name Transcription |
くめたかばたけいせき |
Order in book |
|
Address |
愛媛県松山市来住町1155番4 |
Address Transcription |
えひめけんまつやましみなみくめまち |
City Code |
38201 |
Site Number |
|
North Latitude (JGD) |
|
East Longitude (JGD) |
|
North Latitude (WGS) |
334833 |
East Longitude (WGS) |
1324805 |
Dd X Y |
33.809166 132.801388
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
Research Period |
20000417-20000719
|
Research Space |
135
|
Research Causes |
個人住宅による本発掘調査 |
OverView |
Site Type |
集落
|
Main Age |
弥生
|
Main Features |
掘立柱建物?
溝
低地
|
Main Foundings |
弥生土器
石器
|
Remark |
久米官衙遺跡群の代表的な施設である正倉院の濠と敷地内部における4件の発掘調査報告である。38次で東濠北部、39次調査で北濠中央西寄りの地点で濠の位置を確定し、各濠の全長と方向角の正確な数値を得た。43次と46次はともに敷地内部における調査である。46次では官衙関連遺構は検出されなかったことから、付近は正倉院の広場に当たっている可能性が高いと判断している。43次で検出の2棟並びの東西棟は、南濠の北約30m地点に東西に並び建つ倉と屋の列を構成する掘立柱建物である。このうち、東側の掘立001には、後に間仕切りのための柱が1本追加されており、その際に地下に据え付けられたとみられる礎石を1基検出している。このほか、この建物に重複する掘立003においては、柱穴の底に礫が敷き詰められた状態が確認されており、礎石の根石ではないかとする見方もあって注目している。ただし、様々な視点から検証した結果、礎石建物か否かの結論を得るには至らず、総柱構造ではなく側柱建物ではないかと推測するに至っている。時期的に古い特徴も併せ持つ建物であることから、遺跡群Ⅱ期以前に遡るとする正倉院の起源を考える上で重要な建物であると認識しているが、得られた情報が断片的すぎたため、結論を得ることはできなかった。なお、43次ではこのほかに中世の溝1条と墓1基を検出している。ともに12世紀後半から13世紀代に付近で耕作地の開発が本格的に始まった頃の様相を示す遺構である。溝出土鉄製品と墓出土土師器の存在は重要である。 |
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Abstract |
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