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須沢角地遺跡2

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/23073
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.23073
引用表記 公益財団法人新潟県埋蔵文化財調査事業団 2014 『新潟県埋蔵文化財調査報告書256:須沢角地遺跡2』新潟県教育委員会
公益財団法人新潟県埋蔵文化財調査事業団 2014 『須沢角地遺跡2』新潟県埋蔵文化財調査報告書256
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書名 須沢角地遺跡2
発行(管理)機関 新潟県 - 新潟県
書名かな すざわかくちいせきに
副書名 北陸新幹線関係発掘調査報告書
巻次 24
シリーズ名 新潟県埋蔵文化財調査報告書
シリーズ番号 256
編著者名
編集機関
公益財団法人新潟県埋蔵文化財調査事業団
発行機関
新潟県教育委員会
発行年月日 20141226
作成機関ID 15100
郵便番号 9560845
電話番号 0250253981
住所 新潟県新潟市秋葉区金津93-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 須沢角地遺跡
遺跡名かな すざわかくちいせき
本内順位
遺跡所在地 新潟県糸魚川市須沢字大坪2672-2ほか
所在地ふりがな にいがたけんいといがわしすざわあざおおつぼ
市町村コード 15216
遺跡番号 250
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 370152
東経(世界測地系)度分秒 1374939
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 37.031111 137.8275
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20140415-20140603
調査面積(㎡)
268
調査原因 北陸新幹線建設に伴う市道取付
遺跡概要
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
土坑
ピット
性格不明遺構
主な遺物
土師器
須恵器
鉄製品(釘
刀子)
石器(砥石)
土製品(羽口)
特記事項 集落内の遺構の希薄な部分と思われる。
種別
散布地
時代
中世(細分不明)
主な遺構
主な遺物
珠洲焼
瀬戸美濃焼
砥石
敲石
特記事項 集落からやや離れた生産域と思われる。
種別
散布地
時代
縄文
主な遺構
主な遺物
石器(剥片)
特記事項
要約  遺跡は、姫川左岸の扇状地西端に立地し、古代の遺構検出面の標高は5.9mである。調査の結果、縄文時代、古代、中世の遺構・遺物を検出した。
 縄文時代は石器がごく少量出土した。遺構は検出されなかった。
 古代の遺構は土坑1基、ピット11基、性格不明遺構3基である。過去の調査区に照らし合わせれば、古代集落の範囲内の比較的遺構の希薄な部分を調査したものと考えられる。なお、性格不明遺構は検出面や覆土、形状から樹痕と考えられ、古代集落の成立以前の形成と判断できる。
 古代の遺物は、調査面積が狭い割には多く出土している。8世紀から10世紀ころまで認められるが、8世紀末葉から9 世紀初頭が主体である。この時期の須恵器には、焼歪みの著しいものや溶着痕のあるものが認められ、胎土の肉眼観察から多くは調査区の西500mに存在する西角地古窯跡産と考えられた。両遺跡の須恵器の胎土分析を行った結果、多くの須恵器が西角地古窯跡から搬入されていることが明らかになった。
 本遺跡は、かつて北陸道「滄海駅」の有力な候補地とされたが、「駅の存在を裏付ける資料が存在せず、駅を支えた青海地域最大の古代集落」[加藤2011]と評価されている。本調査の結果もこの評価を超えるものではなかった。
 中世の遺物は、珠洲焼、瀬戸美濃焼、石器が散漫に出土した。遺構は検出されなかった。周辺に水田が検出されていることから、集落から比較的離れた生産域と考えられる。

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