茨城県
常陸太田市集中曝涼【文化財解説(旧町屋変電所)】
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旧町屋変電所は、明治42(1909)年1月、日立製作所の前身である久原鉱業所日立鉱山によって建設された町屋発電所の変電施設です。明治38年10月31日、後に「茨城の電気王」と呼ばれた前島平を中心として設立された茨城電気株式会社は、中里発電所の建設に着手しました。しかし、工事は思うように進まなかったことから、日立鉱山が買収し、明治40年3月に中里発電所からの送電が開始され、明治42年1月には町屋村に300kwの町屋発電所を新設しました。
前島平は中里発電所を譲渡すると、水戸に火力発電所を建設し、明治40年8月10日に県内で初めて水戸に電灯がともりました。その後、明治44(1911)年の春に茨城電気株式会社が中里発電所とともに町屋発電所を買い取り、家庭への電力供給に着手しました。同年11月28日に、旧太田町、旧誉田村、町屋に初めて電灯が灯り、町屋の人々は「電気見たけりゃ町屋へ行け」と偉大な町のシンボルを誇ったといいます。
煉瓦造りで切妻屋根の建物と寄棟屋根の建物がつながった外観が特徴のこの変電施設は、町屋発電所から送られてきた電力をフランス製と見られる三相の碍子から取り入れ、各地に送電していました。
昭和31(1956)年まで変電所として機能した後は、地域の集会所として利用されていましたが、平成4年に新しい公民館の完成を機に、集会所の役目を終えました。平成11年9月7日付で国登録有形文化財となり、現在は河内の文化遺産を守る会によって建物の活用と周辺整備が進められています。東日本大震災では、レンガの壁に亀裂が入るなどの大きな被害を受けましたが、平成25年2月に耐震補強も含めた災害復旧工事が終了しました。
前島平は中里発電所を譲渡すると、水戸に火力発電所を建設し、明治40年8月10日に県内で初めて水戸に電灯がともりました。その後、明治44(1911)年の春に茨城電気株式会社が中里発電所とともに町屋発電所を買い取り、家庭への電力供給に着手しました。同年11月28日に、旧太田町、旧誉田村、町屋に初めて電灯が灯り、町屋の人々は「電気見たけりゃ町屋へ行け」と偉大な町のシンボルを誇ったといいます。
煉瓦造りで切妻屋根の建物と寄棟屋根の建物がつながった外観が特徴のこの変電施設は、町屋発電所から送られてきた電力をフランス製と見られる三相の碍子から取り入れ、各地に送電していました。
昭和31(1956)年まで変電所として機能した後は、地域の集会所として利用されていましたが、平成4年に新しい公民館の完成を機に、集会所の役目を終えました。平成11年9月7日付で国登録有形文化財となり、現在は河内の文化遺産を守る会によって建物の活用と周辺整備が進められています。東日本大震災では、レンガの壁に亀裂が入るなどの大きな被害を受けましたが、平成25年2月に耐震補強も含めた災害復旧工事が終了しました。