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山王遺跡
山王遺跡
URL | https://sitereports.nabunken.go.jp/19041 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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DOI 二次元コード |
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DOI | http://doi.org/10.24484/sitereports.19041 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引用表記 | 宮城県教育委員会 2014 『宮城県文化財調査報告書235:山王遺跡』宮城県教育委員会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宮城県教育委員会 2014 『山王遺跡』宮城県文化財調査報告書235 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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書名 | 山王遺跡 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行(管理)機関 | 宮城県教育委員会 - 宮城県 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名かな | さんのういせき | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
副書名 | 多賀前地区第4次発掘調査報告書 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
巻次 | 6 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ名 | 宮城県文化財調査報告書 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ番号 | 235 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編著者名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編集機関 |
宮城県教育委員会
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発行機関 |
宮城県教育委員会
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発行年月日 | 20141226 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作成機関ID | 04000 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
郵便番号 | 9808423 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
電話番号 | 0222113682 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
住所 | 宮城県仙台市青葉区本町3-8-1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
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資料タイプ | Research Paper | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発掘調査報告 | 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所蔵大学(NCID) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
JP番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
他の電子リソース |
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備考 |
一部(171~178ページおよび199~203ページ)は公開しておりません。
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所収論文 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収遺跡 |
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要約 | 【古墳時代前期(塩釜式期)】 側道部の旧調査で検出していた水田跡とこれに関連する用水路跡、溝跡の東側延長箇所の一部を検出。 【奈良時代】 北より南に向けて約100m間隔で、①居住域(掘立柱建物跡、竪穴住居跡、井戸跡等)、②耕作域(畑地)、③居住域(竪穴住居跡群)、④耕作域(畑地)となる土地利用状況を再確認した。①の北辺は東西方向のSA19材木塀、①と②の間は東西方向のSA831材木塀、②と③の間は東西方向のSD2298区画溝、③と④の間は東西方向のSD1602B河川跡でそれぞれ区画されている。さらに南側の西側は畑地、後に掘削されるSD2000河川左岸区域では水田域となっていた。条里地割りを反映した可能性も考えられる。 【平安時代】 ①南1西2区において1町規模の区画全体を占有して、庭園(遣り水)遺構を伴う国守館跡が9世紀前葉頃のB1期、9世紀中葉頃のB2期、9世紀後葉頃のB3期、10世紀前半頃のB4期の4時期にわたって変遷する様子を再確認した。 ②南2西1区では、区画成立前の9世紀前半~中葉頃のB1・2期には、東西方向のSD1602B河川を挟んだ北側が北西に隣接する国守館を支えた竪穴住居群からなる居住域、河川を挟んだ南側が耕作域(畑地)として土地利用されていた。9世紀後 葉頃のB3期には四辺が道路で区画された区画が成立して、埋没した河川跡上に南1―2間道路が施工されて区画が二分され、北半部が掘立柱建物からなる居住域、南半部が掘立柱建物と竪穴住居からなる居住域へと土地利用が変化し、10世紀前 半頃のB4期にもこれが引き継がれていることを再確認した。 ③南2道路以南では9世紀前半~中葉頃のB1・2期にはSD2000河川右岸が畑地から水田域に変わり、左岸では水田が作り直されている。9世紀後葉頃のB3期にはSD2000河川の両岸に西0・東0道路が施工され、右岸では小規模な掘立柱建物 からなる居住域となり、左岸では水田が一部作り直されている。10世紀前葉頃のB4期には左岸でも水田域から小規模な掘立柱建物からなる居住域となっている。 ④南1西2区、南2西1区ではB2期とB3期の間の9世紀中葉頃、南2道路以南では9世紀中葉頃の水田域にそれぞれイベント堆積物の砂層が存在し、9世紀中葉~後葉にかけて調査区の広範囲が冠水した状況が判明した。イベント堆積物の分析 により、砂押川の氾濫による海水種珪藻などを含む堆積物とわかった。貞観11年(869)陸奥国巨大地震に伴う津波の遡上に起因する可能性があり、これまで調査でよくわからなかった貞観地震・津波の痕跡を解明する手掛かりが得られた。 ⑤西1道路跡A東側溝上面から残りのよいウマ1頭が出土した。解体されない不自然な状態で、9世紀中葉に位置づけられ、海水種珪藻も検出されたことから、貞観11年(869)陸奥国巨大地震による犠牲馬の可能性も考えられた。 ⑥南1西1道路交差点近くの3連結された横位合口土師器甕棺墓(8世紀末~9世紀前葉頃)の中から2歳程のヒト幼児の歯が検出された。古代の横位合口土師器甕棺墓で、ヒト幼児歯が検出された全国初めての貴重な出土例となった。 |