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富山市若竹町遺跡発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/18911
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.18911
引用表記 有限会社毛野考古学研究所富山支所 2015 『富山市埋蔵文化財調査報告74:富山市若竹町遺跡発掘調査報告書』富山市教育委員会埋蔵文化財センター
有限会社毛野考古学研究所富山支所 2015 『富山市若竹町遺跡発掘調査報告書』富山市埋蔵文化財調査報告74
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書名 富山市若竹町遺跡発掘調査報告書
発行(管理)機関 富山市 - 富山県
書名かな とやましわかたけちょういせきはっくつちょうさほうこくしょ
副書名 (仮称)熊野コミュニティセンター(公民館)建設工事に伴う埋蔵文化財発掘調査
巻次
シリーズ名 富山市埋蔵文化財調査報告
シリーズ番号 74
編著者名
編集機関
有限会社毛野考古学研究所富山支所
発行機関
富山市教育委員会埋蔵文化財センター
発行年月日 20150316
作成機関ID 16201
郵便番号 9300091
電話番号 0764424246
住所 富山県富山市愛宕町1-2-24
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 若竹町遺跡
遺跡名かな わかたけちょういせき
本内順位
遺跡所在地 富山県富山市若竹町・悪王寺・森田・吉岡
所在地ふりがな とやまけんとやましわかたけちょう・あくおうじ・もりた・よしおか
市町村コード 16201
遺跡番号 2010684
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 363751
東経(世界測地系)度分秒 1371315
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.630833 137.220833
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20140818-20140830
調査面積(㎡)
109
調査原因 (仮称)熊野コミュニティセンター(公民館)建設
遺跡概要
種別
集落
時代
縄文
古墳
奈良
平安
主な遺構
縄文-竪穴建物
主な遺物
縄文-縄文土器
特記事項
種別
時代
主な遺構
古墳-竪穴建物
主な遺物
古墳-土師器
特記事項
種別
時代
主な遺構
奈良
平安-竪穴建物
土坑
畑跡
主な遺物
奈良
平安-土師器
須恵器
特記事項
要約 縄文時代は、後期の竪穴建物1棟を検出し、熊野川右岸に新たに形成される後・晩期集落の一例となった。
古墳時代は、試掘調査で検出した前期の竪穴建物1棟に加え、後期の溝1条を検出し、古墳時代の集落の存在が確実となった。
奈良・平安時代は、竪穴建物2棟・土坑1基・畑跡を検出した。9世紀を主体とし、一部は10世紀まで下る集落遺跡である。集落は熊野川右岸に竪穴建物が小規模に点在し、背後に畑跡が広がる景観が想定された。畑跡は畝方向を変えながら継続して営まれていた。熊野川左岸の開発拠点集落である任海宮田遺跡に対して、本遺跡や吉岡遺跡、上新保遺跡は熊野川右岸の新規開墾集落である。熊野川流域の新規開墾集落は、畑作が主要な生産基盤のひとつになっており、本遺跡の畑跡はそのような新規開墾集落の一端を示している。
自然科学分析では、土坑出土炭化物のAMS年代測定を実施し、下層炭化物が8世紀後半頃から9世紀後半頃、上層が8世紀後半頃から10世紀後半頃という結果を得た。

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