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野々井遺跡Ⅱ

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/97193
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.97193
引用表記 大阪府教育委員会他 1997 『財団法人大阪府文化財調査研究センター調査報告書20-2:野々井遺跡Ⅱ』大阪府教育委員会他
大阪府教育委員会他 1997 『野々井遺跡Ⅱ』財団法人大阪府文化財調査研究センター調査報告書20-2
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書名 野々井遺跡Ⅱ
発行(管理)機関 大阪府文化財センター - 大阪府
有償頒布・配布ページ https://www.occh.or.jp/?s=book
※ 有償頒布・配布していない場合もあります
書名かな ののいいせき
副書名 近畿自動車道松原すさみ線建設に伴う発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 財団法人大阪府文化財調査研究センター調査報告書
シリーズ番号 20-2
編著者名
編集機関
大阪府教育委員会
財団法人大阪府文化財調査研究センター
発行機関
大阪府教育委員会
財団法人大阪府文化財調査研究センター
発行年月日 19970331
作成機関ID
郵便番号 536
電話番号 069346651
住所 大阪市城東区蒲生2丁目11番3号 小森ビル4F
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 野々井遺跡
遺跡名かな ののいいせき
本内順位
遺跡所在地 大阪府堺市野々井
所在地ふりがな おおさかふさかいしののい
市町村コード 27145
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 342948
東経(世界測地系)度分秒 1352840
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.496666 135.477777
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
19880701-19890325
19900701-19910325
19920624-19930325
調査面積(㎡)
11132
調査原因 近畿自動車道松原すさみ線建設に伴う
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
古墳
飛鳥白鳳
平安
主な遺構
竪穴建物
掘立柱建物
土坑
主な遺物
弥生土器
土師器
須恵器
木製品
瓦器
特記事項
要約  野々井遺跡は6回にわたる調査を実施し、東半分は『野々井遺跡』(1994)として報告しており、今回は西半分の調査成果を報告する。今回の調査では、弥生時代中期の竪穴建物が建て替えを含めて5棟検出した。このうちの1棟は、直径約13m、床面積133㎡を測る大形の円形建物である。また付近から、広鍬などの未製品を保管したであろう土坑が見つかった。集落は弥生時代後期にかけても存続した。
 古墳時代には、須恵器を中心に意識的に並べた土坑を検出しており、祭司的な施設と考えている。飛鳥時代の遺構では、灌漑に伴う可能性のある溝群が見つかった。
 平安時代になると、四面庇付き建物、2間×6間、あるいは4間×5間の建物など、計4棟の掘立柱建物を検出した。これらは、ほぼ同一主軸にて建てられている。

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