比恵
URL | https://sitereports.nabunken.go.jp/86690 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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DOI | http://doi.org/10.24484/sitereports.86690 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引用表記 | 福岡市教育委員会 2018 『福岡市埋蔵文化財調査報告書1347:比恵』福岡市教育委員会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
福岡市教育委員会 2018 『比恵』福岡市埋蔵文化財調査報告書1347 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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書名 | 比恵 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発行(管理)機関 | 福岡市 - 福岡県 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
書名かな | ひえ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
副書名 | 比恵遺跡群第139次調査の報告 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
巻次 | 79 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ名 | 福岡市埋蔵文化財調査報告書 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリーズ番号 | 1347 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編著者名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
編集機関 |
福岡市教育委員会
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発行機関 |
福岡市教育委員会
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発行年月日 | 20180326 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
作成機関ID | 40130 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
郵便番号 | 8108621 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
電話番号 | 0927114667 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
住所 | 福岡市中央区天神1丁目8番1号 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
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資料タイプ | Research Paper | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
発掘調査報告 | 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所蔵大学(NCID) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
JP番号 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
他の電子リソース |
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備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収論文 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所収遺跡 |
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要約 | 調査地点は、弥生時代集落論の学史上著名な「比恵遺跡環溝」発見地点の北側近接地である。近代以降の攪乱が多く、調査範囲の約半分は遺構が破壊・削平されていたが、遺構が遺存していた範囲では、きわめて濃密な遺構分布があり、多くの遺構を検出した。調査時および整理時の丹念な検討により、竪穴住居(竪穴遺構)39以上、掘立柱建物20以上が存在したことが判明した。これらはごく一部のみ古墳時代後期~飛鳥時代だが、大半はでも弥生時代中期~古墳時代前期後半である。調査区南西の「2号環溝」は、比恵9次調査から下限が古墳前期後半におよぶことが判明しているが、本調査区も同様で、前期後半の遺構は比恵では減少している中で特異である。古墳初頭から前期の韓半島系瓦質・陶質土器片もあることや、一辺5m前後以上の平地建物(住居)、暗渠状遺構が存在するなど、「首長居館」の可能性がある「環溝」に関わる上位階層・外交担当者の居住城の可能性がある。無数の柱穴から掘立柱建物を少なくとも20棟が復元でき、深く大きな掘方の柱穴を有する「楼観(物見櫓)建築や(SB01・02)、前述の平地建物(平地住居)が複数あり、さらに小型の高床倉庫が存在する。竪穴住居や掘立柱建物の方位が、時期により変遷することも確認できた。南側「環溝」群は(復元修正による)、1号環溝南北辺と3号北辺がN-35° -Wの直角、1号東辺がN-27° -W、1号西辺がN-16° -W、3号西辺がN-25° -W、3号南辺がN-30° -W、3号東辺と2号東西辺・北辺がN-43° -W、2号南辺がN-31~33° -Wの直角だが、139次の住居・建物の方位変遷はこれらに関係する可能性が高い(環溝群は弥生後期初頭から古墳前期後半まで、1号→3号→2号と変遷する)。井戸が少ないこと、土器の廃棄が少なかったのは、南側の「環溝」群への遺物廃棄が想定されること、「環溝」周囲に井戸が集中(比恵1・9・10次)していることと関係すると考えられる。比恵139次調査では、比恵の「中枢城」の居住城と土地利用の実態を明らかにすることができた。 |