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那珂

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/132529
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.132529
引用表記 福岡市教育委員会 2023 『福岡市埋蔵文化財調査報告書1475:那珂』福岡市教育委員会
福岡市教育委員会 2023 『那珂』福岡市埋蔵文化財調査報告書1475
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book ... 開く
wikipedia 出典テンプレート : {{Cite book|和書|first=洋|last=屋山|first2=健|last2=田中|title=那珂|origdate=2023-03-24|date=2023-03-24|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/132529|location=福岡県福岡市中央区天神1丁目8番1号|doi=10.24484/sitereports.132529|series=福岡市埋蔵文化財調査報告書|volume=1475}} 閉じる
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書名 那珂
発行(管理)機関 福岡市 - 福岡県
書名かな なか
副書名 那珂遺跡群第186次調査報告
巻次 88
シリーズ名 福岡市埋蔵文化財調査報告書
シリーズ番号 1475
編著者名
編集機関
福岡市教育委員会
発行機関
福岡市教育委員会
発行年月日 20230324
作成機関ID 40130
郵便番号 8108621
電話番号 0927114667
住所 福岡県福岡市中央区天神1丁目8番1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
PDFファイル 報告書に正誤表追加
所収論文
所収遺跡
遺跡名 那珂遺跡
遺跡名かな なかいせき
本内順位
遺跡所在地 福岡県福岡市博多区東光寺1丁目334、336、337、348、351、352-1、352-2、353
所在地ふりがな ふくおかけんふくおかしはかたくとうこうじ1ちょうめ334、336、337、348、351、352-1、352-2、353
市町村コード 40132
遺跡番号 0085
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 333428
東経(世界測地系)度分秒 1302558.1
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 33.574444 130.432805
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20210517-20210730
調査面積(㎡)
475
調査原因 記録保存
遺跡概要
種別
集落
時代
弥生
古墳
古代(細分不明)
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
竪穴式住居
土坑
井戸掘立柱建物
主な遺物
弥生土器
須恵器
土師器
陶磁器
特記事項
要約  弥生時代中期から中世の集落を確認した。いずれの時代も遺物が少なく時期の特定は難しい。弥生時代は時期を確認できた遺構は少ないものの後世の遺構からは破片が多く出土しており、削平をうける前は遺構が多く存在したものと思われる。古墳時代は前期の竪穴式住居1軒と柱穴等、古代前期は井戸が1基出土した。古代後半~中世初期になると堀と溝、掘立柱建物が見られるようになりそれらは2時期に分けられる。堀と溝は周辺の調査でも多く確認されているが東光寺剣塚など古墳に属するもの以外は中世後半に属するものが多い。
今回の調査で確認した堀や溝ではいずれも中祉前半の遺物が多く、中世後半に属する遺物はほとんど出土しておらず時期差があるものと思われる。調査区は丘陵の尾根部分にあたり周辺より高くなっている。鳥栖ロームも最上層は残っていなかったため、畑の工作や大正以降の区画整理によって多くの遺構が削平をうけたものと思われる。

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