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発行機関一覧 (都道府県別) > 広島県 > 東広島市 > 御土居遺跡発掘調査報告書

御土居遺跡発掘調査報告書

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/31036
引用表記 (財)東広島市教育文化振興事業団文化財センタ− 2006 『文化財センター調査報告書54:御土居遺跡発掘調査報告書』(財)東広島市教育文化振興事業団文化財センタ−
(財)東広島市教育文化振興事業団文化財センタ− 2006 『御土居遺跡発掘調査報告書』文化財センター調査報告書54
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ファイル
書名 御土居遺跡発掘調査報告書
発行(管理)機関 東広島市 - 広島県
書名かな おどいいせきはっくつちょうさほうこくしょ
副書名 一般県道造賀田万里線道路改良事業に係る発掘調査/高屋町白市
巻次 1
シリーズ名 文化財センター調査報告書
シリーズ番号 54
編著者名
編集機関
(財)東広島市教育文化振興事業団文化財センタ−
発行機関
(財)東広島市教育文化振興事業団文化財センタ−
発行年月日 20060300
作成機関ID
郵便番号 739-0033
電話番号 0824-25-3880
住所 広島県東広島市西条町馬木541番地1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
情報源上に表示がないため、巻次は推定により補記
所収論文
所収遺跡
遺跡名 御土居遺跡
遺跡名かな おどいいせき
本内順位
遺跡所在地 広島県東広島市高屋町白市
所在地ふりがな ひがしひろしましたかやちょうしらいち
市町村コード 34212
遺跡番号 K750
北緯(日本測地系)度分秒 342716
東経(日本測地系)度分秒 1324912
北緯(世界測地系)度分秒
東経(世界測地系)度分秒
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.4577 132.8174
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20011101-20020228
20020902-20021031
20040802-20040930
20050401-20050930
調査面積(㎡)
2,000
450
441
1,983
調査原因 一般県道造賀田万里線道路改良事業に係る発掘調査報告書
遺跡概要
種別
城館
時代
古代(細分不明)
中世(細分不明)
近世(細分不明)
主な遺構
竪穴住居跡3軒
掘立柱建物跡4棟
石垣1条
土塁1条
溝7条
堀跡3条
土坑4基
鍛治炉跡3基
土器溜1条
性格不明遺構4基
主な遺物
土師器
須恵器
滑石製紡錘車
鉄釘
鉄鏃
輸入磁器
陶器
土師質土器
須恵質土器
鞴の羽口
特記事項 なし
要約 [御土居遺跡 要約]
 中世の館跡の一部を調査し、古代及び中世から近世初頭の遺構を検出した。中世の主な遺構としては、掘立柱建物跡、土塁、溝などがある。掘立柱建物跡のうち2棟は鍛治工房と考えられる。館の南西には石垣が存在し、館の正面は南側の可能性が高い。遺物では、輸入磁器が出土し、土師質土器が捨てられた状態で多量に出土した。  館の中心となる平坦面は90m×40mの規模で、周辺では最大規模である。平賀氏が東約350mに位置する白山城を詰めの城とし、本遺跡を居館として利用したと考えられる。居館として使用した時期は出土遺物から16世紀中頃から終末だが、近世初めまで何らかの活動が行われていたと思われる。????

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