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長畑山北第1〜6号古墳

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/27699
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.27699
引用表記 公益財団法人広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室 2015 『公益財団法人広島県教育事業団発掘調査報告書69:長畑山北第1〜6号古墳』公益財団法人広島県教育事業団
公益財団法人広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室 2015 『長畑山北第1〜6号古墳』公益財団法人広島県教育事業団発掘調査報告書69
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書名 長畑山北第1〜6号古墳
発行(管理)機関 (公財)広島県教育事業団 - 広島県
書名かな ながはたやまきただい1~6ごうこふん
副書名 中国横断自動車道尾道松江線建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告 ; 41
巻次
シリーズ名 公益財団法人広島県教育事業団発掘調査報告書
シリーズ番号 69
編著者名
編集機関
公益財団法人広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室
発行機関
公益財団法人広島県教育事業団
発行年月日 20150320
作成機関ID
郵便番号 733-0036
電話番号 082-295-5751
住所 広島県広島市西区観音新町4丁目8番49号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 長畑山北第2号古墳
遺跡名かな ながはたやまきただい2ごうこふん
本内順位
遺跡所在地 広島県三次市吉舎町海田原字長畑山
所在地ふりがな ひろしまけんみよししきさちょうかいだはらあざながはたやま
市町村コード 34209
遺跡番号 34584-400
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 344408
東経(世界測地系)度分秒 1325853
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.735555 132.981388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20090629-20091222
調査面積(㎡)
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
古墳
時代
古墳
主な遺構
古墳1
主な遺物
須恵器,土師器,鉄器,玉類(滑石製小玉・土玉)
特記事項 木棺墓
遺跡名 長畑山北第1号古墳
遺跡名かな ながはたやまきただい1ごうこふん
本内順位
遺跡所在地 広島県三次市吉舎町海田原字長畑山
所在地ふりがな ひろしまけんみよししきさちょうかいだはらあざながはたやま
市町村コード 34209
遺跡番号 34584-399
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 344408
東経(世界測地系)度分秒 1325853
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.735555 132.981388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20090629-20091222
調査面積(㎡)
1,485
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
古墳
時代
古墳
主な遺構
古墳1
主な遺物
須恵器,土師器,鉄器
特記事項 木棺墓
遺跡名 長畑山北第3号古墳
遺跡名かな ながはたやまきただい3ごうこふん
本内順位
遺跡所在地 広島県三次市吉舎町海田原字長畑山
所在地ふりがな ひろしまけんみよししきさちょうかいだはらあざながはたやま
市町村コード 34209
遺跡番号 34584-401
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 344408
東経(世界測地系)度分秒 1325853
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.735555 132.981388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20090629-20091222
調査面積(㎡)
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
古墳
時代
古墳
主な遺構
古墳1
主な遺物
須恵器,土師器,鉄器
特記事項 竪穴式石室
遺跡名 長畑山北第4号古墳
遺跡名かな ながはたやまきただい4ごうこふん
本内順位
遺跡所在地 広島県三次市吉舎町海田原字長畑山
所在地ふりがな ひろしまけんみよししきさちょうかいだはらあざながはたやま
市町村コード 34209
遺跡番号 34584-402
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 344408
東経(世界測地系)度分秒 1325853
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.735555 132.981388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20090629-20091222
調査面積(㎡)
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
古墳
時代
古墳
主な遺構
古墳1
主な遺物
須恵器,土師器,鉄器,耳環,玉類(丸玉・切子玉・土玉・ガラス小玉),砥石
特記事項 横穴式石室
遺跡名 長畑山北第5号古墳
遺跡名かな ながはたやまきただい5ごうこふん
本内順位
遺跡所在地 広島県三次市吉舎町海田原字長畑山
所在地ふりがな ひろしまけんみよししきさちょうかいだはらあざながはたやま
市町村コード 34209
遺跡番号 34584-403
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 344408
東経(世界測地系)度分秒 1325853
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.735555 132.981388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20090629-20091222
調査面積(㎡)
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
古墳
時代
古墳
主な遺構
古墳1
主な遺物
須恵器
特記事項 木棺墓
遺跡名 長畑山北第6号古墳
遺跡名かな ながはたやまきただい6ごうこふん
本内順位
遺跡所在地 広島県三次市吉舎町海田原字長畑山
所在地ふりがな ひろしまけんみよししきさちょうかいだはらあざながはたやま
市町村コード 34209
遺跡番号 34584-405
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 344408
東経(世界測地系)度分秒 1325853
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 34.735555 132.981388
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20090629-20091222
調査面積(㎡)
調査原因 記録保存調査
遺跡概要
種別
古墳
時代
古墳
主な遺構
古墳1
主な遺物
須恵器,土師器,石鏃,叩き石
特記事項 木棺墓
要約 [長畑山北第2号古墳 要約]
 長畑山北第1〜6号古墳は,江の川支流馬洗川を北に望む丘陵上に位置する。直径5.0〜9.8mの円墳で構成され,埋葬施設は第1・2・5・6号古墳が木棺,第3号古墳が竪穴式石室,第4号古墳が横穴式石室である。木棺墓からの出土遺物は須恵器,土師器,竪穴式石室からの出土遺物は須恵器,土師器,鉄器,横穴式石室からの出土遺物は須恵器,土師器,鉄器,耳環,玉類(丸玉・切子玉・土玉・ガラス小玉),砥石である。第2号古墳の盛土から摘鎌,滑石製小玉,土玉が出土しているほか,第4号古墳の床面下から須恵器や土師器がまとまって出土しており,築造時に何らかの祭祀が行われた可能性がある。 出土遺物から6世紀中頃(一部は6世紀後半にかけて)に第1・2・5・6号が,6世紀中頃から後半にかけて第4号古墳が,続いて6世紀後半に第3号古墳が造られている。第4号古墳の横穴式石室はこの地域で最も古いものであり,在地色の残る木棺墓から横穴式石室が導入される様子がよくわかる貴重な資料である。当初は竪穴式石室または箱式石棺と想定されていたように,横穴式石室が少ない地域として知られた当地域に,未だ発見されていない横穴式石室が多く存在する可能性がある。また,石室上層から炭化物や8世紀代の須恵器が出土し,横穴式石室の再利用が行われている。 
[長畑山北第1号古墳 要約]
 長畑山北第1〜6号古墳は,江の川支流馬洗川を北に望む丘陵上に位置する。直径5.0〜9.8mの円墳で構成され,埋葬施設は第1・2・5・6号古墳が木棺,第3号古墳が竪穴式石室,第4号古墳が横穴式石室である。木棺墓からの出土遺物は須恵器,土師器,竪穴式石室からの出土遺物は須恵器,土師器,鉄器,横穴式石室からの出土遺物は須恵器,土師器,鉄器,耳環,玉類(丸玉・切子玉・土玉・ガラス小玉),砥石である。第2号古墳の盛土から摘鎌,滑石製小玉,土玉が出土しているほか,第4号古墳の床面下から須恵器や土師器がまとまって出土しており,築造時に何らかの祭祀が行われた可能性がある。 出土遺物から6世紀中頃(一部は6世紀後半にかけて)に第1・2・5・6号が,6世紀中頃から後半にかけて第4号古墳が,続いて6世紀後半に第3号古墳が造られている。第4号古墳の横穴式石室はこの地域で最も古いものであり,在地色の残る木棺墓から横穴式石室が導入される様子がよくわかる貴重な資料である。当初は竪穴式石室または箱式石棺と想定されていたように,横穴式石室が少ない地域として知られた当地域に,未だ発見されていない横穴式石室が多く存在する可能性がある。また,石室上層から炭化物や8世紀代の須恵器が出土し,横穴式石室の再利用が行われている。 
[長畑山北第3号古墳 要約]
 長畑山北第1〜6号古墳は,江の川支流馬洗川を北に望む丘陵上に位置する。直径5.0〜9.8mの円墳で構成され,埋葬施設は第1・2・5・6号古墳が木棺,第3号古墳が竪穴式石室,第4号古墳が横穴式石室である。木棺墓からの出土遺物は須恵器,土師器,竪穴式石室からの出土遺物は須恵器,土師器,鉄器,横穴式石室からの出土遺物は須恵器,土師器,鉄器,耳環,玉類(丸玉・切子玉・土玉・ガラス小玉),砥石である。第2号古墳の盛土から摘鎌,滑石製小玉,土玉が出土しているほか,第4号古墳の床面下から須恵器や土師器がまとまって出土しており,築造時に何らかの祭祀が行われた可能性がある。 出土遺物から6世紀中頃(一部は6世紀後半にかけて)に第1・2・5・6号が,6世紀中頃から後半にかけて第4号古墳が,続いて6世紀後半に第3号古墳が造られている。第4号古墳の横穴式石室はこの地域で最も古いものであり,在地色の残る木棺墓から横穴式石室が導入される様子がよくわかる貴重な資料である。当初は竪穴式石室または箱式石棺と想定されていたように,横穴式石室が少ない地域として知られた当地域に,未だ発見されていない横穴式石室が多く存在する可能性がある。また,石室上層から炭化物や8世紀代の須恵器が出土し,横穴式石室の再利用が行われている。 
[長畑山北第4号古墳 要約]
 長畑山北第1〜6号古墳は,江の川支流馬洗川を北に望む丘陵上に位置する。直径5.0〜9.8mの円墳で構成され,埋葬施設は第1・2・5・6号古墳が木棺,第3号古墳が竪穴式石室,第4号古墳が横穴式石室である。木棺墓からの出土遺物は須恵器,土師器,竪穴式石室からの出土遺物は須恵器,土師器,鉄器,横穴式石室からの出土遺物は須恵器,土師器,鉄器,耳環,玉類(丸玉・切子玉・土玉・ガラス小玉),砥石である。第2号古墳の盛土から摘鎌,滑石製小玉,土玉が出土しているほか,第4号古墳の床面下から須恵器や土師器がまとまって出土しており,築造時に何らかの祭祀が行われた可能性がある。 出土遺物から6世紀中頃(一部は6世紀後半にかけて)に第1・2・5・6号が,6世紀中頃から後半にかけて第4号古墳が,続いて6世紀後半に第3号古墳が造られている。第4号古墳の横穴式石室はこの地域で最も古いものであり,在地色の残る木棺墓から横穴式石室が導入される様子がよくわかる貴重な資料である。当初は竪穴式石室または箱式石棺と想定されていたように,横穴式石室が少ない地域として知られた当地域に,未だ発見されていない横穴式石室が多く存在する可能性がある。また,石室上層から炭化物や8世紀代の須恵器が出土し,横穴式石室の再利用が行われている。 
[長畑山北第5号古墳 要約]
 長畑山北第1〜6号古墳は,江の川支流馬洗川を北に望む丘陵上に位置する。直径5.0〜9.8mの円墳で構成され,埋葬施設は第1・2・5・6号古墳が木棺,第3号古墳が竪穴式石室,第4号古墳が横穴式石室である。木棺墓からの出土遺物は須恵器,土師器,竪穴式石室からの出土遺物は須恵器,土師器,鉄器,横穴式石室からの出土遺物は須恵器,土師器,鉄器,耳環,玉類(丸玉・切子玉・土玉・ガラス小玉),砥石である。第2号古墳の盛土から摘鎌,滑石製小玉,土玉が出土しているほか,第4号古墳の床面下から須恵器や土師器がまとまって出土しており,築造時に何らかの祭祀が行われた可能性がある。 出土遺物から6世紀中頃(一部は6世紀後半にかけて)に第1・2・5・6号が,6世紀中頃から後半にかけて第4号古墳が,続いて6世紀後半に第3号古墳が造られている。第4号古墳の横穴式石室はこの地域で最も古いものであり,在地色の残る木棺墓から横穴式石室が導入される様子がよくわかる貴重な資料である。当初は竪穴式石室または箱式石棺と想定されていたように,横穴式石室が少ない地域として知られた当地域に,未だ発見されていない横穴式石室が多く存在する可能性がある。また,石室上層から炭化物や8世紀代の須恵器が出土し,横穴式石室の再利用が行われている。 
[長畑山北第6号古墳 要約]
 長畑山北第1〜6号古墳は,江の川支流馬洗川を北に望む丘陵上に位置する。直径5.0〜9.8mの円墳で構成され,埋葬施設は第1・2・5・6号古墳が木棺,第3号古墳が竪穴式石室,第4号古墳が横穴式石室である。木棺墓からの出土遺物は須恵器,土師器,竪穴式石室からの出土遺物は須恵器,土師器,鉄器,横穴式石室からの出土遺物は須恵器,土師器,鉄器,耳環,玉類(丸玉・切子玉・土玉・ガラス小玉),砥石である。第2号古墳の盛土から摘鎌,滑石製小玉,土玉が出土しているほか,第4号古墳の床面下から須恵器や土師器がまとまって出土しており,築造時に何らかの祭祀が行われた可能性がある。 出土遺物から6世紀中頃(一部は6世紀後半にかけて)に第1・2・5・6号が,6世紀中頃から後半にかけて第4号古墳が,続いて6世紀後半に第3号古墳が造られている。第4号古墳の横穴式石室はこの地域で最も古いものであり,在地色の残る木棺墓から横穴式石室が導入される様子がよくわかる貴重な資料である。当初は竪穴式石室または箱式石棺と想定されていたように,横穴式石室が少ない地域として知られた当地域に,未だ発見されていない横穴式石室が多く存在する可能性がある。また,石室上層から炭化物や8世紀代の須恵器が出土し,横穴式石室の再利用が行われている。 

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