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京都府遺跡調査報告集

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/28198
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.28198
引用表記 公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ− 2018 『京都府遺跡調査報告集』公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ−
公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ− 2018 『京都府遺跡調査報告集』
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書名 京都府遺跡調査報告集
発行(管理)機関 (公財)京都府埋蔵文化財調査研究センター - 京都府
書名かな きょうとふいせきちょうさほうこくしゅう
副書名
巻次 176
シリーズ名
シリーズ番号
編著者名
編集機関
公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ−
発行機関
公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センタ−
発行年月日 20180330
作成機関ID
郵便番号 617-0002
電話番号 075-933-3877
住所 京都府向日市寺戸町南垣内40番の3
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 平安京跡( 左京一条三坊二町)
遺跡名かな へいあんきょうあと
本内順位
遺跡所在地 京都府京都市上京区下長者町新町西入藪ノ内町42 番地
所在地ふりがな きょうとしかみぎょうくしもちょうじゃどおりしんまちにしいるやぶのうちちょう
市町村コード 26102
遺跡番号 170・242
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 350120
東経(世界測地系)度分秒 1354522
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.022222 135.756111
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20150903-20160317
20160404-20170106
調査面積(㎡)
2200
3360
調査原因 建物建設
遺跡概要
種別
宮都
時代
平安
鎌倉
南北朝
室町
戦国
安土桃山
江戸
主な遺構
礎石建物
柱穴
土坑
石室
井戸
主な遺物
土師器
須恵器
緑釉陶器
灰釉陶器
黒色土器
瓦器
輸入陶磁器
国産陶磁器
金箔瓦
銭貨
銅製品
鉄製品
石製品
特記事項 遺跡名かな:へいあんきょうあと(さきょういちじょうさんぼうにちょう)
要約 [平安京跡( 左京一条三坊二町) 要約]
調査地は平安京の一条三坊二町にあたり、北側に鷹司小路が敷設されていた地点である。調査では、鷹司小路の南側溝の一部とみられる溝を検出した。このほか、平安時代の遺構としては、12世紀前半頃の井戸などを検出した。中世の遺構では、戦国時代の上京の街を守る構の堀を検出した。ほぼ正方位に沿って東西に直線的に延びる。北側には土塁があったと考えられ、調査地は、ほとんどが構の外側であったとみられる。中世の大規模な構の実態を示す重要な遺構と言える。近世初頭には、豊臣秀吉が造営した聚楽第に伴う大名屋敷地となっていたものとみられ、金箔瓦が出土している。江戸時代初期には上級町衆の宅地となっていたと考えられる。廃棄土坑と考えられる土坑群からは、瀬戸美濃系陶器や肥前系陶器などの茶道具とみられる陶器が多数出土している。輸入陶磁器も出土しており、中国製磁器のほかに、朝鮮やヴェトナムなどのものも含まれる。交易品の容器とみられるものもあり、この地に住んだ町衆の性格を物語るものとも言えよう。江戸時代末には京都守護職となった松平容保の会津藩上屋敷地となる。長屋と考えられる礎石建物を検出した。 以上のように、平安時代から近世に至るまでの土地利用の状況がわかる、重要な調査事例である。。 

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