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中野遺跡第78地点

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/51155
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.51155
引用表記 埼玉県志木市教育委員会 2014 『志木市の文化財57:中野遺跡第78地点』埼玉県志木市教育委員会
埼玉県志木市教育委員会 2014 『中野遺跡第78地点』志木市の文化財57
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書名 中野遺跡第78地点
発行(管理)機関 志木市 - 埼玉県
書名かな なかのいせきだい78ちてん
副書名 埋蔵文化財発掘調査報告書
巻次
シリーズ名 志木市の文化財
シリーズ番号 57
編著者名
編集機関
埼玉県志木市教育委員会
発行機関
埼玉県志木市教育委員会
発行年月日 20140331
作成機関ID 11228
郵便番号 3530002
電話番号 0484731111
住所 埼玉県志木市中宗岡1丁目1番1号
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 中野遺跡(第78地点)
遺跡名かな なかのいせき
本内順位 1
遺跡所在地 志木市柏町1丁目1493-1、1494-1の一部
所在地ふりがな しきしかしわちょう
市町村コード 11228
遺跡番号 09-002
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 355003
東経(世界測地系)度分秒 1393421
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.834166 139.5725
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20130110-20130207
調査面積(㎡)
111.37
調査原因 分譲住宅建設に伴う道路新設工事
遺跡概要
種別
集落
時代
中世(細分不明)
主な遺構
段切状遺構1
土坑6
溝3
ピット33
主な遺物
陶磁器
鉄製品
砥石
特記事項 11Mは野火止用水の分水路の一部と考えられる。
要約  中野遺跡は、旧石器時代から近世にかけての複合遺跡である。今回発掘調査を実施した第78地点は、柳瀬川を北に望み、低地に差し掛かる手前の台地の斜面地に位置する。検出された遺構は、中世以降の段切状遺構1箇所、土坑6基、ピット33本である。
 段切状遺構については、水平な平場ではなく、若干の傾斜がある面であったが、整地面がやや硬化していたこと、整地面上面が立川ローム第Ⅳ層であったことから、その存在が認識された。さらに基本土層の調査によって、立川ローム第Ⅳ層下部まで消失しており、明らかに人口改変が行われたことが確認された。
 10号溝跡は、調査区を南北に走る溝跡であり、西川家文書『一字限地図帳』を参照すると、位置関係、溝の向きから区画溝と考えられる。本溝跡は、『一字限地図帳』が明治15年に作成されたことから、それ以前に築造された溝と考えられる。
 11号溝跡は、調査区北側で確認された。本溝跡の覆土が粘土質の水性堆積土であり、古地図や航空写真より周辺に水路が流れていたことから、本溝跡は野火止用水の分水路の一部であると考えられる。

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