URL |
https://sitereports.nabunken.go.jp/71669
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引用表記 |
飯能市教育委員会 2019 『飯能の遺跡45:横道下遺跡第1~5次調査』飯能市教育委員会
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飯能市教育委員会 2019 『横道下遺跡第1~5次調査』飯能の遺跡45
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wikipedia 出典テンプレート :
{{Cite book|和書|first=久美子|last=富元|title=横道下遺跡第1~5次調査|origdate=2019-03-29|date=2019-03-29|url=https://sitereports.nabunken.go.jp/71669|location=埼玉県飯能市大字双柳1番地の1|ncid=BB12219232|series=飯能の遺跡|volume=45}}
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ファイル |
|
書名 |
横道下遺跡第1~5次調査 |
発行(管理)機関 |
飯能市
- 埼玉県
|
書名かな |
よこみちしたいせきだい1~5じちょうさ |
副書名 |
|
巻次 |
2 |
シリーズ名 |
飯能の遺跡 |
シリーズ番号 |
45 |
編著者名 |
|
編集機関 |
飯能市教育委員会
|
発行機関 |
飯能市教育委員会
|
発行年月日 |
20190329 |
作成機関ID |
11209 |
郵便番号 |
3570021 |
電話番号 |
0429732111 |
住所 |
埼玉県飯能市大字双柳1番地の1 |
報告書種別 |
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
|
資料タイプ |
Research Paper |
発掘調査報告 |
掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象) |
所蔵大学(NCID) |
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JP番号 |
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他の電子リソース |
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備考 |
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所収論文 |
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所収遺跡 |
遺跡名 |
横道下遺跡 第1次 |
遺跡名かな |
よこみちしたいせき |
本内順位 |
1 |
遺跡所在地 |
飯能市大字唐竹字横道下198-1ほか |
所在地ふりがな |
はんのうしおおあざからたけあざよこみちした198-1ほか |
市町村コード |
11209 |
遺跡番号 |
21130 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
355134 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1391334 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.859444 139.226111
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
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調査期間 |
19941209-19950329
|
調査面積(㎡) |
2690
|
調査原因 |
宅地分譲 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
住居跡16
竪穴状遺構2
土坑38
埋設土器2
土器埋納土坑3
礫埋納土坑1
集石土坑5
|
主な遺物 |
縄文早期土器(条痕文系)
縄文前期土器(黒浜式・諸磯a~c式)
縄文中期土器(五領ヶ台式・勝坂式・加曾利E式)
縄文後期土器(称名寺式・堀之内式)
石器
垂飾品
|
特記事項 |
垂飾品1点。黒耀石原石のデポ。 |
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遺跡名 |
横道下遺跡 第2次 |
遺跡名かな |
よこみちしたいせき |
本内順位 |
2 |
遺跡所在地 |
飯能市大字唐竹字横道下202-1ほか |
所在地ふりがな |
はんのうしおおあざからたけあざよこみちした202-1ほか |
市町村コード |
11209 |
遺跡番号 |
21130 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
355136 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1391333 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.86 139.225833
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19950522-19950725
|
調査面積(㎡) |
970
|
調査原因 |
宅地分譲 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
集石土坑1
土坑33
|
主な遺物 |
縄文早期土器(条痕文系)
縄文前期土器(黒浜式・諸磯a~c式)
縄文中期土器(五領ヶ台式・勝坂式・加曾利E式)
縄文後期土器(称名寺式・堀之内式)
石器
|
特記事項 |
|
|
遺跡名 |
横道下遺跡 第3次 |
遺跡名かな |
よこみちしたいせき |
本内順位 |
3 |
遺跡所在地 |
飯能市大字唐竹字横道下196-1ほか |
所在地ふりがな |
はんのうしおおあざからたけあざよこみちした196-1ほか |
市町村コード |
11209 |
遺跡番号 |
21130 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
355133 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1391333 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.859166 139.225833
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19960414-19960611
|
調査面積(㎡) |
964
|
調査原因 |
宅地分譲 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
前期(諸磯a式)住居跡1
中期住居跡6
竪穴状遺構2
埋納遺構1
土坑7
集石土坑1
|
主な遺物 |
縄文早期土器(条痕文系)
縄文前期土器(黒浜式・諸磯a~c式)
縄文中期土器(五領ヶ台式・勝坂式・加曾利E式)
縄文後期土器(称名寺式・堀之内式)
石器
|
特記事項 |
諸磯a式の住居跡1 |
|
遺跡名 |
横道下遺跡 第4次 |
遺跡名かな |
よこみちしたいせき |
本内順位 |
4 |
遺跡所在地 |
飯能市大字唐竹字横道下204-1ほか |
所在地ふりがな |
はんのうしおおあざからたけあざよこみちした204-1ほか |
市町村コード |
11209 |
遺跡番号 |
21130 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
355137 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1391334 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.860277 139.226111
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19960524-19960617
|
調査面積(㎡) |
1240
|
調査原因 |
宅地分譲 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
土坑1
|
主な遺物 |
縄文早期土器(条痕文系)
縄文前期土器(黒浜式・諸磯a~c式)
縄文中期土器(五領ヶ台式・勝坂式・加曾利E式)
縄文後期土器(称名寺式・堀之内式)
石器
|
特記事項 |
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遺跡名 |
横道下遺跡 第5次 |
遺跡名かな |
よこみちしたいせき |
本内順位 |
5 |
遺跡所在地 |
飯能市大字唐竹字横道下200-1ほか |
所在地ふりがな |
はんのうしおおあざからたけあざよこみちした200-1 |
市町村コード |
11209 |
遺跡番号 |
21130 |
北緯(日本測地系)度分秒 |
|
東経(日本測地系)度分秒 |
|
北緯(世界測地系)度分秒 |
355135 |
東経(世界測地系)度分秒 |
1391334 |
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) |
35.859722 139.226111
|
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
|
調査期間 |
19961202-19970122
|
調査面積(㎡) |
1272
|
調査原因 |
宅地分譲 |
遺跡概要 |
種別 |
集落
|
時代 |
縄文
|
主な遺構 |
土坑2
|
主な遺物 |
縄文早期土器(条痕文系)
縄文前期土器(黒浜式・諸磯a~c式)
縄文中期土器(五領ヶ台式・勝坂式・加曾利E式)
縄文後期土器(称名寺式・堀之内式)
石器
|
特記事項 |
|
|
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要約 |
横道下遺跡は入間川上流山間部を代表する集落遺跡である。調査区の中でも山際に寄った1・3次調査区で計23軒の縄文時代の竪穴式住居跡を検出した。山側からの流入堆積土層中に構築された住居跡は遺構確認が難しく、周溝・炉などの存在によって確認した住居跡も多い。内訳は、前期諸磯a式期1軒、中期勝坂式期7軒、加曾利E式期9軒、次期不明6軒である。同じ場所に少しずつプランがずれて重複した住居が多く検出されており、非連続性の回帰構築であったとみられる。 このほか中期の埋設土器・土坑・集石土坑が検出され、土坑・集石土坑の中には人的に土器・大礫が埋納されたとみられる遺構が混じっていた。 遺物は、27リットル入りコンテナ78箱が出土した。主な遺物は、住居跡と同時期の縄文時代中期中葉~後葉の土器であるが、縄文時代早期(野島式以降)、前期(黒浜式・諸磯式)、中期(五領ヶ台式)、後期(称名寺式・堀之内式)の土器片が微量出土している。ただし、中期住居跡覆土に混在しての出土、確認面グリッド出土などで、確実に該期と言える遺構は検出されていない。 石器は計475点出土しているが、打製石斧が全体の56%を占める。また、倒木痕で壊された地点からの出土であるが、9号住居跡(1号遺構・11号倒木痕)から黒耀石原石6点が集中して出土しており、収蔵遺構が存在したのではないかと考えられる。 本遺跡では縄文時代の遺構・遺物のほか、平安時代(9世紀)の住居跡・土坑、以降の墓壙が検出されている。これらについては『飯能の遺跡(40)横道下遺跡第1~5次調査Ⅰ(古代編)』(2013)で報告済みである。 |