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堤沼上遺跡

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/24379
DOI 二次元コード
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.24379
引用表記 財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 2008 『群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告423:堤沼上遺跡』国土交通省他
財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 2008 『堤沼上遺跡』群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告423
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書名 堤沼上遺跡
発行(管理)機関 (公財)群馬県埋蔵文化財調査事業団 - 群馬県
書名かな つつみぬまうえいせき
副書名 一般国道17号(上武道路)改築工事に伴う埋蔵文化財発掘調査(その2)報告書
巻次
シリーズ名 群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告
シリーズ番号 423
編著者名
編集機関
財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
発行機関
国土交通省
群馬県埋蔵文化財調査事業団
発行年月日 20080131
作成機関ID
郵便番号 377-8555
電話番号 0279-52-2511
住所 群馬県渋川市北橘町下箱田784番地2
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 堤沼上遺跡
遺跡名かな つつみぬまうえいせき
本内順位
遺跡所在地 群馬県前橋市堤町・亀泉町
所在地ふりがな ぐんまけんまえばししつつみまち・かめいずみまち
市町村コード 10201
遺跡番号
北緯(日本測地系)度分秒 362349
東経(日本測地系)度分秒 1390801
北緯(世界測地系)度分秒 362400
東経(世界測地系)度分秒 1390749
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 36.4 139.130277
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20021201-20030331
20030501-20030831
20040107-20040331
20040401-20040430
20040614-20040621
調査面積(㎡)
11154
調査原因 道路建設工事
遺跡概要
種別
集落
時代
古墳
主な遺構
竪穴住居6
主な遺物
土師器
須恵器
特記事項 平安時代の大溝を検出、円面硯、巡方出土
種別
集落
時代
奈良
平安
主な遺構
竪穴住居34
掘立柱建物18
土坑56
溝9
井戸1
道3
ピット164
主な遺物
土師器
須恵器
鉄器
石器
特記事項
種別
田畑
時代
主な遺構
田畑
水田
主な遺物
特記事項
種別
古墳
その他
時代
縄文
主な遺構
主な遺物
縄文土器
石器
特記事項
要約 [堤沼上遺跡 要約]
遺跡は、赤城山南麓のほぼ中央部、寺沢川左岸にある台地上に位置する。標高120m、旧利根川の流路である広瀬川低地帯にも近く、縄文時代はもちろん、古墳時代以降の遺跡が多い一画である。寺沢川との合流点には、6世紀初頭の前方後円墳正円寺古墳がある。調査では、谷地の水田との関連なのか、台地の東縁辺部に住居跡40軒をはじめとした遺構が集中している。6世紀後半の一時期と、その後8世紀前半から10世紀前半までの2つの時期にピークがある。集落が中断するのは、谷地に水の乏しいことが原因らしく、2条の大溝は恒久的な灌漑施設として作られた。時期は、9 10世紀、谷地開発の切札ともいうべき存在で、これにより地域での開発が遺跡の枠を超えていたことが分かる。

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