# たじひのだより 松原市文化財情報誌No.8 [写真1]主屋南側の外観 [写真2]主屋北側正面の外観:大戸口付近から屋根の煙出しを見る [写真3]登録プレート(鋳物製) [写真4]長屋門の外観小窓と出格子をアクセントにした重厚な構え ##田中家住宅 [写真5]大戸口 普段の土間出入口 [写真6]玄関 賓客を迎えるところ [写真7]素朴な床の間 [写真8]前栽 井戸や灯篭で趣のある庭 平成21年3月19日に開催された国の文化審議会は、本市南新町1丁目所在の田中家住宅を、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として登録有形文化財に登録するよう文部科学大臣に答申しました。今回登録されるのは、主屋及び長屋門の2件で、本市での建造物の登録は3箇所目、合計21件となります。 住宅は、庄屋層の豪壮な農家で、宝永6年(1709)の「普請関係文書」が現存しています。世は、犬公方といわれた徳川5代将軍綱吉から正徳の治と称された6代将軍家宣に代わる頃、皆さんもよくご存知の宝永元年(1704)に中甚平衛らの嘆願によって行われた大和川の付け替えの5年後、また、去年NHKで放送された大河ドラマの天障院篤姫が誕生したのが天保7年(1836)ですから、それより約130年も前に建てられています。 主屋は、北向きの入母屋瓦葺屋根で、居室は整形四間取りのナンドと座敷の間に仏間を設ける五間取りの系統に属しています。過去帳によると、文政(1818~1830)の頃に大増改築を行っており、長屋門は、この時に建て直したことがわかります。また、天保(1830~1844)の頃には、屋根の茅葺を瓦葺に替えたこともわかっています。このように幾度かの改築を経て、現在の主屋は、宝永の建築当初の面影を一部に残しながら、天保の頃の姿を伝えているようです。 田中家は更池村庄屋で、「永代過去帳」によると、文政の頃には西本願寺門跡が来訪し、天保・弘化(1830~1848)の頃には苗字帯刀を許され、また、領主である大名・秋元但馬守(転封により武蔵国川越藩、出羽国山形藩、上野国館林藩主となる。本領とは別に、畿内でも河内国丹北郡、丹南郡及び八上郡の3郡で領地を有し、八上郡長曽根村(現在堺市)に陣屋を構えて代官を置いていた。)の家老巡見などもあった地域を代表する旧家ですが、記録等に残された数度の増改築は、このような田中家の社会的立場の変化と関係があるのかもしれません。 近年、老朽化が著しく座敷など建物の一部が倒壊する状況になっていましたが、所有者及び関係者の方々の大変なご努力によって、部分保存されることになりました。保存修理は、曳き家により移築され、平成17年から着手して、平成19年末に完成しました。このたびの登録は、この保存修理の完成を記念して、所有者のご希望により実現することになったものです。(当住宅の敷地内及び建物内の見学は出来ません。) ##「普請関係文書Jいわゆる普請帳てナニ? 普請帳とは、普請(建築)に関する諸記録を書き留めたもので、年月日はもちん、普請の日数、大工らのエ数、賃金、使用材料の量と費用から、祝儀関係 に至るまで明らかにできるとともに、建造物の実物遺構の調査を 裏付けたり、補うとができる貴重な資料です。 大阪府周辺では普請帳のある家は極めて少なく、年代的には奈良県新庄町の村井家(重要文化財)のものが元禄13年(1700) で最も古く、それに続いて本市の田中家の 宝永6年(1709) 、柏原市の三田家(重要文化財)の明和3年(1766) の順となっています。 ##移築・再生・保存 [写真9]①移築直前の主屋の北側正面。右側に見えるのが中門 [写真10]②朽ちて壊れた奥座敷 [写真11]③庭の井戸と崩れた土塀 [写真12]④移築の様子。太い柱や梁があらわに [写真13]⑤移築・修復中の長屋門 ##市史編さんレポート「御家老様がやってきた」時は十匹代将軍家茂、幕末の世!長州戦争!藩費調達一万五千両! 元治2年(1865) 2月、館林描家老が藩主代理として御用金調達等のため河内の領地を巡見し、行約30人は、23日、更池村庄屋(田中家)を訪れました。その様子が「御家老岡村宗左衛門御巡見諸事覚帳」に詳しく記録されています。 覚帳によると、家老たちは到着するとすぐ邸に上がり、庄屋や百姓たちは外に敷いた筵の上に座って、家老・郡奉行が挨拶をし、この年の正月に清右衛門(当時の田中家当主)の仕事ぶりが認められて帯刀が許されたことが披露されました。その後、前日から魚屋2 人が泊まり込んで準備した昼食が振舞われましたが、身分に応じて、家老岡村宗左衛門は「奥座敷」、郡奉行多賀谷彦九郎は「次八畳」、代官内藤儀左衛門は「ノ畳」、執筆武井彦右衛門は「部屋」に通され、彼らには鯛の焼物、汁(穴子と浅草のり)、香の物(奈良漬)が、供の者には鯛の代わりに鰤のつけ焼きが出されています。 このほか、覚帳には、接待の経費や品物、行列配置もかれており、巡見に際して迎える側の気配りや苦労を具体的に知ることができます。 なお、一行が訪れた屋敷は、このたび登録された田中家住宅ですが、家老たちが通された部屋は、松原市史資料集第10号『松原市の民家一本文編ー』(販売中)P.23の住宅間取り図でも確認できますので、ご覧ください。 [写真14]食事の部屋割りを記録した部分(「御家老岡村宗左衛門御巡見諸事覚帳」田中家文書) ##みて・きいて・ふれて 職業体験学習のため松原第四中学校2年生の生徒2名を受け入れました。体験してもらった仕事は、発掘調査で出土した土器などの遺物洗浄作業と、発掘調査現場での遺構発掘作業です。大阪府教育委員会が行っていた北新町の高木遺跡発掘調査現場で奈良時代の掘立柱建物の遺構を実際に掘りましたが、子どもたちは初めての経験に少し戸惑っていたようです。発掘調査を担当された大阪府教育委員会の服部文章技師の丁寧なご指導で、何とか柱穴を掘りあげることができ、子どもたちにとって貴重な体験になったのではないかと思います。そのほか松中フェスタでは、パネル展示とその解説を行いました。地域のみなさんに少しでも松原の文化財のことを知っていただければと願っています。また、南河内地区社会教育振興協議会研修会で「古代まつばら一古道と開発ー」と題して講演会を行い、熱心に聞いていただきました。 [写真15]四中職業体験 [写真16]11月8日松中フェスタ [写真17]7 月22日南河内地区社会教育振興協議会研修会講演会 ##松原市内の文化財についてお知りになりたい方へ◎ 【ホームページ】http://www.city.matsubara.osaka.jp/10,1072,49,241.html 【文化財の展示】ふるさとぴあプラザ1 F・郷土資料館 (財団法人松原市文化情報振興事業団)大阪府松原市上田7丁目11番19号電話072-336-6800 (松原市役所5 F ·総務部人権文化室)大阪府松原市阿保1丁目1番1号電話072-334-1550(代) 【発掘届出・遺跡範囲確認・建築確認申請時の合議などの受付窓口】松原市役所5 F ・教育委員会地域教育振興課 〒580-8501大阪府松原市阿保1丁目1番1号電話072-334-1550(代) FAX 072-332-7720 【文化財に関する各種相談・手続き・調査、図書の販売、その他】教育委員会地域教育振興課市史文化財係阿保事務所 〒580-0043大阪府松原市阿保5丁目21番8号電話072-336-4448 FAX 072-336-4001 } ##奥付 編集•発行:松原市教育委員会地域教育振興課市史文化財係2009.3 印刷・製本:株式会社高速オフセット