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Publish Year1995 - 1999

( "fishing implements" OR 漁具 )

Site Name・Site Name Transcription・Address・Address Transcription・Site Number
Subtitle : 93-3・4調査区(施設部)の概要
Volume : 17
Series Number : 17
Participation-organizations : 大阪府文化財センター - 大阪府
Publisher : (財)大阪文化財センター
Publish Date : 19950331
Submit Date : 2018-12-15
<b>漁具</b>
Subtitle : 北野東部地区県営圃場整備事業関係埋蔵文化財調査報告3
Volume :
Series Number : 5
Author : 堀田 秀茂
Participation-organizations : 久留米市 - 福岡県
Publisher :
Publish Date : 19960331
Submit Date : 2019-05-14
石製<b>漁具</b>、メノウ石錐多数出土、多頭石斧 主な時代:縄文晩期から弥生中期初頭
Subtitle : 市営住宅建設工事に伴う発掘調査報告書その2
Volume : 2
Series :
Series Number :
Participation-organizations : (公財)大阪市博物館協会大阪文化財研究所 - 大阪府
Publisher : 財団法人大阪市文化財協会
Publish Date : 19991031
Submit Date : 2018-12-15
<b>漁具</b>
Subtitle : (8)長岡京跡右京第466次下植野工区C-6地区(7ANTTD-5地区)
Volume :
Series Number : 69
Participation-organizations : (公財)京都府埋蔵文化財調査研究センター - 京都府
Publisher : (財)京都府埋蔵文化財調査研究センター
Publish Date : 19960326
Submit Date : 2018-12-15
<b>漁具</b>
Subtitle :
Volume :
Series :
Series Number :
Participation-organizations : 東近江市 - 滋賀県
Publisher : 八日市市教育委員会
Publish Date : 19960329
Submit Date : 2019-03-28
鉄製<b>漁具</b>
Subtitle :
Volume :
Series Number : 23
Participation-organizations : (公財)京都府埋蔵文化財調査研究センター - 京都府
Publisher : 財団法人 京都府埋蔵文化財調査研究センター
Publish Date : 19970326
Submit Date : 2018-12-15
鉄製<b>漁具</b>
Thumnail
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Subtitle :
Volume :
Series Number : XXIII
Participation-organizations : 阪南市 - 大阪府
Publisher : 阪南市教育委員会社会教育課
Publish Date : 19980331
Submit Date : 2011-07-20
に実施した分布調査で周知された。これまでの調査では、住居跡等の遺構は確認されていないものの、瓦器や陶磁器等の生活雑器とともに土錘や蛸壺といった漁<b>具</b>が出土している。また、舶載青磁が出土していることも注目すべき点である。(1)97‑1区
Thumnail
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Subtitle : 博多遺跡群第94次聖福寺旧塔頭順心庵・第106次発掘調査報告
Volume :
Series Number : 593
Participation-organizations : 福岡市 - 福岡県
Publisher : 福岡市教育委員会
Publish Date : 19990331
Submit Date : 2017-06-09
こでは出土した石製品のうち砥石を除いた石製品33点についてみていくことにする。出土石器は、武器.農具・工具.<b>漁具</b>・その他に大別できる。武器からみていくと、磨製石剣と石戈があり、1003が板岩?製、1004.1005.1009.1010
Thumnail
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Subtitle :
Volume :
Series :
Series Number :
Participation-organizations : 神戸市 - 兵庫県
Publisher : 神戸市教育委員会
Publish Date : 19951005
Submit Date : 2010-05-25
柄は茎に銹着した部分のみが残っている。副室北東隅付近で集中して出上している。工具・<b>漁具</b>工具としてヤリガンナ(98左2本)・塾(96右)。有袋鉄斧・短冊形鉄斧が出上しており、<b>漁具</b>としてヤス(98)が出上している。紡錘車形石製品地滑り面に貼りついた副室側の板石の下から1点が出土した。濃緑色の碧玉製で光沢をもつ。外形は正円ではなく、わずかに歪んでいる。上面での直径の平均値は6.8cm、厚さは1.4cm、重量は99.5g である。中央には直径0.4cmの円孔を穿っている。上面には2段の段が造り出されている。上面は丁寧に研磨されている。上面では段付近に同心円状に細かい擦痕が、下面においては全体に一方向の擦痕が認められる。周縁部は下面に向かってやや内傾している。下面は円孔に向かって若千窪んでいる。下面中央の円孔の周囲に長径1.8cm、短径1.7clnの不整円形の圧痕があるが、何によるものかは不明である。円孔内には鉄ないし木製の芯は残存していなかった。周縁部には銹が付着している。出土時には付近に鉄製品はなかったが、もともと鉄製品の近くに置かれていたと考えられる。また、下面には布が付着している。鉄製品同様布に包まれていたのか、石室崩壊の際、朱とともに付着したものなのか定かではない。当古墳から出上した石製品はこの1点のみである。L暉98.ヤス(左上長さ6.6cm) 0 5 cm 100。紡饉車形石製品実測図99.紡錘車形石製品(S=2/3) 53 3.遺物の取り上げと保存料学調査西求女塚古墳の遺物は、埋葬時の原位置を離れ、特異な状態で埋蔵されていたことは、これまでの説明で明らかである。このことにより、比較的多くの有機遺物が土壌中に残されていた。しかし、一度上の中から出ると、急激な温度の上昇、乾燥、強烈な紫外線といった苛酷な条件に晒されることになる。このことは、繊維などの有機遺物だけでなく、金属器にも大きなダメージを与えることになる。出土後すぐに取り上げれば良いが、それでは出土状態の記録が取れず、遺物から情報を奪うことになる。今回の調査では、出来るだけ迅速に出土状態の記録を行い、速やかに遺物を取り上げることが留意された。また、遺物を取り上げる際は、周辺の土ごと取り上げ、すぐに室内に運び、X線透過写真撮影を行って遺物を確認してから、顕微鏡下で遺物周囲の上を取り除いた。以下がこうして発見された織物や顔料である。103.11号鏡鏡背付着織物2種類の織物が付着している。繊維の太さも密度も異なっている。青銅鏡のサビや赤色顔料で変色している部分と、ほとんど腐食せず、当時の姿を止めている部分がある。101.11号鏡出土状況102.青銅鏡の取り上げ54 107.崩壊しつつある織物(8号鏡) ≦世105,鏡付着織物(0号鏡)×625 :郡磯電転= ×25 .こf`為k勒: ホ・Ⅲ∫地;斡縫ヽ運109.織物の糸が崩壊している(8号鏡)×125 106.鏡付着織物(9号鏡) ×25 くυくジ110。顔料やサビなどで変色した織物(12号鏡)X25 111.ほとんどサビに置き変わつた織物(8号鏡) 112.絹織物断面顕微鏡写真(7号鏡)X125 113。同左114.植物繊維の織物断面顕微鏡写真(9号鏡)×50 115。同左拡大X125 西求女塚古墳の青銅鏡や鉄製品には少なくとも2種類の材質の平織りの織物が付着している。このことは、これらの副葬品が、布や袋によって包まれたか、あるいは織物そのものが副葬品として、納められていたことを示している。今後これらの織物の材質や、密度や織り方などの織物そのものの調査を専門の研究者の協力を得て行い、付着状態の観察と合わせて、埋葬状態の復元の一つの手段になる可能性がある。また、これらの繊維がどこで作られたものかという事も今後の大きな課題である。これら織物とは別の有機物として、鉄製品に付着した木質がある。そのほとんどはすでに分解しているが、鉄サビに置き変わった部分は幸うじて残っている。鉄鏃に残された矢柄、刀の柄、槍の柄などである。これらもその材質を調査することによって、多くの情報を得ることができる。116.鏡面赤色顔料付着状態(9号鏡) 117.鏡背赤色顔料付着状態(7号鏡) 110。赤色顔料顕微鏡写真(9号鏡)X25 119.同左(7号鏡)X25 弥生時代や古墳時代の墓には何故か赤色顔料が多く用いられてる。しかし、すべての墓に用いられているわけではない。そこには、当時の信仰や社会関係の一端が見え隠れしている。赤色顔料と呼んでいるものにも、幾つかの種類がある。西求女塚古墳でも2種類の材質の赤色顔料が使われている。今後、その使われ方について、各種の機器を用いた分析調査を行うことによって、石室作りから埋葬までの間の幾つかの儀礼での意識の違いや、入手方法の違いなどが判る可能性もある。このように、遺物の材質や構造を調査することによって、多くの事実が明らかになる。しかし、そのためには後の調査や保存処置を想定した、現地での適切かつ迅速な対応が必要である。57 4.墳丘出上の遺物墳預都出とのと器墳頂部では、墳丘の地滑りによって陥没した部分から多数の上師器の破片が出上した。それらの土器は全て破片で、窪地から出上しているため原位置は保っていない。しかし、それらの出上した層位は窪地の埋上の上層で、既述した竪穴式石室の天丼石被覆粘土からは間層を挟んだ上の層から出上している。また、土器の出上した範囲は窪地の北端に限定される。以上の点から、これらの上器は本来、埋葬施設北半部分の上にあたる墳頂部に置かれていたか、埋められていたもの考えられる。調査地は、現在公園として使用されており、その公園施設や樹木によって調査範囲に制約があったため、土器の出土する範囲を全掘していない。そのため、墳頂部にかつてあった金ての上器の器種や数は明らかでない。これまでに出上している器種は、大型の二重口縁壷。二重回縁小型丸底壷。直口董。鼓形器台・低脚邪・高不がある。これらのほとんどは、いわゆる「山陰系土器」と呼ばれているものである。1〜4は二重口縁小型丸底壷、あるいは対と呼ばれるものである。口縁部と体部の境に嶺を持つこの器形は管見では他に類例がない。しかしその胎土や技法は後述する小型の鼓形器台と同様である。底部まで確認できる個体では底部に穿孔がある。内面に赤色顔料が塗布されているものもある。5も二重口縁小型丸底壷であるが、1〜4とは器形が異なる。因幡地域に出土例のある器形である。6から17は鼓形器台である。口径12cm前後の小型で胎土も細かいタイプと、口径15cm以上の中・大型のものがある。18は高邪、19・20は低脚不の脚部、21・22は直口壷のそれぞれ破片である。24・25の全器形は明らかでないが、山陰地方特有の甑形土器の可能性がある。26は大型の二重口縁重であるが、接合点の無い口縁部。頚部・体部からの復元図である。国縁部と体部に半裁竹管によるスタンプ文がある。外面には赤色顔料が塗布されている。23も26と同様の壼形土器の体部の破片で、刷毛状工具による綾杉形の刺突文がある。58 120.墳頂部出土月ヽ型丸底壺と鼓形器台1/111111︲lr/ /9 ゐレ∪Ff G リジジυpDD 123.二重口縁スタンプ文土器o 20cm 60 122.墳頂部出土土器2 墳重斜爾及び裾部農上のと器後方部とくびれ部の調査区のうち墳丘の斜面及び裾付近からも土師器片が出上している。それらはいずれも流土中から転落した葺石と共に出上しているため、本来は墳頂部か、斜面の段の部分に置かれていたものと思われる。またそれらは、1箇所に集中するのではなく、125に示したように各所から出上しており、墳丘上の各所に置かれていたものと思われる。27・28は二重口縁壷の口縁部の破片、29は低脚邪の邪部である。32から36は大型の二重回縁壷の破片で、頚部と体部に竹管によるスタンプ文や刷毛状工具による綾杉形の刺突文が施されている。墳頂部で出上したものと同様に外面には赤色顔料が塗布されている。30・31は布留式甕の口縁部の破片である。小片で口径を復元することはできないが布留式の古段階に属するものであり、古墳の築造時期を知る重要な遺物である。DDヽか/28. 30。32 31. 35 27. 29, 33 34. 38. Ⅲ区Ⅳ区V区5 tre Ⅵ区0 20cm Ⅲ部Ⅷ咄Ⅷ岬︱︱︱︱型キーー︲︱︱︱︲61 124.墳丘斜面・裾部出土土器覇』護翌椅35選藍6 M8M9 密\側Ж12 Y7 基13 理/ 塁璽重差当K16///=拝甦ゝ、17 遊III「マ知ⅧF盟夕監`20 V1 /29 氏〔:::二::二「:三二:「:,「27 (批力1冨要詔【31 125.土器出上位置図をr■﹂お36第6章まとめ西求女塚古墳の第5次。第7次調査の概要は既述したとおりであるが、墳丘に関しては、前方部についてまだほとんど調査が行なわれておらず、また、出土遺物に関しても十分整理が行われていない。このため、西求女塚古墳の全貌は依然として明らかではないが、これまでの調査で明らかになった点をまとめると以下のとおりである。墳丘墳丘は慶長元(1596)年の「慶長の大地震」によって埋葬施設も含め、各所で地滑りを起こしており、もとの墳形を留めないほど大きく崩れていた。またその後も幾度となく造作が加えられ、墳形は大きく改変されていた。調査の結果、墳形は前方部を東に向けた前方後方墳であることが判明した。全長は前方部端が未調査のため正確な値は明らかではないが、約95m前後と考えられる。後方部の1辺は約55m前後、くびれ部幅は26m である。段築は明らかでない。後方部の高さも墳頂部が削平を受けているため正確な値は明らかでないが、約7〜8mと考えられる。前方部北側のくびれ部に近い所に北側に張り出す施設が存在することも明らかとなった。逓葬施設埋葬施設は後方部中央に墳丘主軸に直交する方向に竪穴式石室が造られていた。この竪穴式石室も地滑りで大きく崩れて原形を留めていなかった。南西側の約1/3が元の状態に近い形で約2m落ち込んでいた。南小口部分が残存しており、南小日から75cmのところに1枚の仕切り石を立てて、棺を埋納する主室と副葬品を埋納する副室に分けるという特異な形の竪穴式石室であった。残存部分から復元すると全長約5.6 m、幅約lmと考えられる。譲止遺物遺物は埋葬施設と墳頂部および墳丘裾部から出上している。埋葬施設から出上した副葬品は主室側からは、三角縁神獣鏡7面を含む舶載鏡12面と小札革綴冑の部品である小札および槍先または鉄剣が、出上している。副室からは、鉄鏃・鉄剣・鉄刀。槍先・鉄鉾などの武器類と斧・ノミ・ヤリガンナなどの工具類および漁具であるヤスといった鉄製品が多数出上している。これらの鉄製品とともに碧玉製紡錘車形石製品も副室から出上している。墳頂部および墳丘裾部からは「山陰系土器」と呼ばれる土師器が多数出上している。器種としては小型丸底壷。鼓形器台。低脚郷・スタンプ文を施した大型二重口縁壷などがある。それらは墓上での祭祀に使用された土器と思われ、被葬者と山陰地方との関係をうかがわせるものである。墳丘裾部からは転落した状態で二重口縁壷等が後方部の各所から出上している。また、墳丘裾部から出上した布留式甕の破片は、この古墳の築造時期を決める手掛かりになるもので重要である。築造時期現状の調査結果では、出上した上器や、三角縁神獣鏡の型式などから西求女塚古墳の築造時期は古墳時代前期の古い段階に位置づけられる。但し古墳の築造時期を決める手掛かりになるものとしては、鏡や土器以外他にも、他の副葬品や墳形・埋葬施設の形状などもふくめて総合的に判断する必要がある。しかし金属器をはじめ、出土遺物の多くは整理が完全には終了しておらず、また墳丘に関しても前方部など未調査のため不明な部分が残っている。また埋葬施設に関してもその特異な形状から詳しい考察が必要である。今後、調査と考察を進めた上で、詳細な築造時期を探っていきたい。63 最後に西求女塚古墳の第7次調査が終了したちょうど1カ月後の平成7年1月17日に、未曾有の被害をもたらした阪神・淡路大震災が発生した。西求女塚古墳の墳丘を崩す程の大地震であった「慶長の大地震」から、奇しくも399年後のことであつた。西求女塚古墳の周辺も震度7の激震地で、多くの建物や、鉄道や道路の高架橋が倒壊した。今回の地震では、西求女塚古墳にはほとんど被害がなく、震災後は避難者のテントを張るスペースとして墳丘の周囲が利用された。調査中は、「かつて、神戸でもこのような大きな地震があった。」と頭では理解できていた。が、それは遠い音のこと、と他人ごとのように感じていた。しかし、大地の営みにとっては、この399年は、ほんの一瞬のことであり、今なお活断層によって降起し続けている六甲山系を背後に控える神戸は、まさに地震のメッカであったことが肌身をもって思い知らされた。前回の地震の爪痕が、約400年の眠りから覚めて我々の目の前に姿を現した直後に、今回の大震災が起こったのは偶然ではあるが、我々に忘れかけていた防災の心構えを訴えかけていたかのようである。最後に、この度の震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害にあわれた方々にお見舞いを申し上げ、一刻も早い復興を切に希望する次第である。126.兵庫県南部地震直後の西求女塚古墳と周辺64 SUMMARY Nishilnotomezuka tumulus is situated south of the Rokko mountains,on alluvial fans 6■l above sea level and lies、vithin the ada nistrative district of NadaヽTard in Eastern Kobe City. Nishimotomezuka tumulus is a zοttο‐乃ο力θ抱%(a keyhole‐shaped tumulus with a square rear mound),the for、vard square mound of、vhich faces to the East.hVhen originany constructed,it was situated some 100■l from the coast,Seven surveys have been undertaken at this tumulus,and this report detalls the results of the fifth and seventh surveys undertaken by the Kobe City Board of Education, The fifth survey、vas carried out bet、veen January and September 1993,for the purpose of investigating the burial structure and rear square mound,by trench excavation,As a result of excavations,the burial structure 、vas found to be a pit style,stone chamber,、vhose axis is at right angles ttrith the mound's axis.The southern half of the chamber、vas fanen 2nl doM〆n,It exhibits earthquake damage.There is evidence to suggest that a large earthquake(magnitude 7)collapsed the chamber in the end of 16th century frhe northern half is also nlissing some of its stone、vork,due to modern demontion work. The original diFnenSion of the chamber has been estirnated at in■、vidth and 61n in length.The bottom of the burial pit、vas paved with round cobble stones,overlaid by a clay bed,on、vhich was placed the、vooden coffin. A stone slab stood 75cln froni the southern end of the chamber,separating itinto a rnain roonl and a sub―room. The main roonl was used for the coffin and the sub‐roonl for mortuary goods.Five,of a possible six,ceiling stones remain. ′rhe stOnes ttrere layered with clay and the interior of the chamber 、vas painted red. It is note、vorthy that many of the stones used to construct the chamber had been cOnveyed from other regions, Among the mortuary goods were bronze■lirrors,iron obiects and a、vhorl shaped iasper ObieCt.The over 200 iron objects include daggers, spears, s、vords, axes, spear―heads, arro郡〆‐heads and fishingspears. An of the 12 ■lirrors and some of the daggers and spears were placed in the main roorn,the other items、vere in the sub‐room. The mirrors were an imported from China and seven of them were of a style called sα勿々α々クう%ιカケーsカゲ勿勿りο(sacred animal rnirrors、vith projectillg ril■s of triangular cross―section)featuring motifs showing beasts and gods. Sα%‐ゲ%pottery,a style lnade and used lnainly in the Sαη‐ケ%regions(Shilnane Pref.,Tottori Pref.,etc.),Was also found.They、vere used during ritual ceremonies on the mound. The seventh survey、vas carried out frOnュAugust to December 1994, to clarify the total size and shape of Nishimotomezuka tumulus.It was previously believed that the tomb was a z9婢θ‐力θι%″η(a keyh01eshaped tumulus、vith a circular rear mound).Latest research has revealed,ho、vever,it is a zθηクθ‐々θ力ο志転η(a keyhole・shaped tumulus、vith a square rear mound).The for、vard square mound、vas not investigated,the size of the mound could only be estimated.It mesuares 50m wide in the rear,26m wide at the waist,where it ioins the forⅥ〆ard mound,and is 95ni long.A square terrace、vas attached to the northern face of the forward mound at the M〆aist. In the region surrounding of Nishirllotomezuka tumulus there are several tumuli built during the early phase ofthe κり物%period(4th century A.D.〉【oSt Of them also contain w%々αカクιクθ力ぬ力焼υ%'多ο.TheSe are assumed to be symbols of the ruling class and thus the excavations of Nishirnotomezuka tumulus are significant in rnany respects to the study of the κQttιηperiOd ヽヽたe intend to clarify the date of construction of the tumulus and the status of the chief inhumed therein, heFeafter. 127. The vew of Nishirnotomezuka tumulus from the south 報告書抄録ぶりがなにしもとめづかこふんだいごじだいしちじはっくつちょうさがいほう菫口名西求女塚古墳第5次。第7次発掘調査概報盲田圭名巻次シリーズ名シリーズ番号編著者名安田滋(編) 千種浩松林宏典石島三和編集機関神戸市教育委員会所在地〒650兵庫県神戸市中央区加納町6丁目5番1号ao78 322 5798 発行年月日西暦1995年10月5日ふりがな所収遺跡ふりがな所在地コード】ヒ旅専東経調査期間調査面積調査原因市町村鵬西求女塚古墳兵庫県神戸市灘区都通3丁目1番28110 34°42′07″135°13/ 45″5次19930125 ハヤ19930910 7次19940822 ‑19941216 5次443∬∬次65遺跡の範囲確認調査所収遺跡名種別主な時代主な遺構主な遺物特記事項西求女塚古墳古墳古墳時代前期崩れた竪穴式石室葺石地震による地滑りの跡三角縁神獣甥7面舶載鏡5面鉄製品碧玉製紡錘車形石製品山陰系土師器布留式甕1596年に起こった慶長の大地震によって地滑りを起こした墳丘とそれに伴って崩れた竪穴式石室を検出。三角縁神獣鏡7面を含めて青銅鏡12面をはじめ、多数の副葬品が出上した。古墳時代前期の古い段階の前方後方墳西求女塚古墳第5次・第7次発掘調査概報1995年10月印刷1995年10月発行発行E口用」神戸市教育委員会文化財課神戸市中央区加納町6丁目5番1号TEL(078)‑322‑5798 日本写真印刷株式会社京都市中京区壬生花井町3 広報印刷物登録。平成7年度第123号A‑6類この冊子は、再生紙を使用しています。
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Subtitle : 市道長浜309号線新設工事に伴う埋蔵文化財発掘調査
Volume :
Series :
Series Number :
Participation-organizations : 出雲市 - 島根県
Publisher : 出雲市教育委員会
Publish Date : 19960300
Submit Date : 2009-11-13
墳時代の貝塚を含む南原遺臥奈良時代から平安時代初期の貝塚で、鉄製刺突<b>漁具</b>(ヤス)が出土なかぶんした申分貝塚が知られているが、神戸川河口から南の出雲砂丘地には、上長浜貝塚以外は全く遺跡は認められない。しかし、10m以
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Subtitle : 岩手県内重要遺跡詳細分布調査報告書Ⅱ
Volume :
Series Number : 102
Participation-organizations : 岩手県教育委員会 - 岩手県
Publisher : 岩手県教育委員会
Publish Date : 19980331
Submit Date : 2019-08-20
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Subtitle : 介良川都市小河川改修事業に伴う発掘調査報告書 第2集
Volume :
Series Number : 18
Participation-organizations : 高知市 - 高知県
Publisher : 高知市教育委員会
Publish Date : 19980630
Submit Date : 2010-04-16
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Subtitle : 国道バイパス建設に伴う埋蔵文化財発掘調査概報平成10年度
Volume :
Series :
Series Number :
Participation-organizations : 香川県教育委員会 - 香川県
Publisher : 香川県教育委員会 | 財団法人香川県埋蔵文化財調査センター | 建設省四国地方建設局
Publish Date : 19990331
Submit Date : 2010-03-18
方後円墳を含む古墳群を形成するような勢力にはなりにくい。やはり畿内政権と関係を持つことにより大きな力を得たとの考えは妥当である。今回の野牛古墳あるいは岩崎山1・4・5号境でも<b>漁具</b>や海に関連する遺物が出土しているのも、元々の
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Subtitle : 吉塚遺跡群第4次調査の概要
Volume :
Series Number : 552
Author : 大庭 康時
Participation-organizations : 福岡市 - 福岡県
Publisher : 福岡市教育委員会
Publish Date : 19980000
Submit Date : 2017-06-07
発な生活活動の場(=町?)であったことを思わせる。吉塚本町遺跡堅粕遺跡群の北側に位置する。これま−でに4次の調査を実施している。弥生時代後期から古代の集落遺跡である。土錘や製塩土器などの<b>漁具</b>・生産用具の一方で、瓦
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Subtitle : 陸前高田市内遺跡発掘調査報告書
Volume : 1
Series Number : 20
Participation-organizations : 陸前高田市 - 岩手県
Publisher : 陸前高田市教育委員会
Publish Date : 19990331
Submit Date : 2017-12-09
大陽台貝塚( 6 6 ) 、釣針や鈷頭など優れた<b>漁具</b>が多く出土することで知られる縄文時代後期初頭から晩期の顧沢貝塚( 5 2 ) といった著名な貝塚を見ることができる。半
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Subtitle : 遺跡編
Volume :
Series :
Series Number :
Participation-organizations : 石巻市 - 宮城県
Publisher : 石巻市教育委員会
Publish Date : 19950300
Submit Date : 2017-12-11
きぞく石鏃…石を打ち欠いて作ったやじり。こっかくき骨角器…動物の骨や角で作った、道具や装飾品等のこと。沼津貝塚から出土した鹿の角で作った<b>漁具</b>は全国的に知られている。藝笑…地面を円形、ま
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Subtitle : 阪南市立西鳥取公民館建設に伴う発掘調査概要報告
Volume :
Series Number : 20
Participation-organizations : 阪南市 - 大阪府
Publisher : 阪南市教育委員会
Publish Date : 19950331
Submit Date : 2011-07-20
然ながら遺跡地近くで製塩作業が行われていたことを想像させる。この奈良時代の同じタイプの製塩土器は、市内では貝掛遺跡や田山遺跡で確認されている。とりわけ、田山遺跡では、製塩土器とともに生活雑器や土錘、蛤壺等<b>漁具</b>が出土し、当時の建物跡が検出されている。こ
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Subtitle : ー長島植物園開発に伴う遺跡確認調査報告書ー
Volume :
Series Number : 20
Author : 中山 清美
Participation-organizations : 奄美市 - 鹿児島県
Publisher : 笠利町教育委員会
Publish Date : 19950331
Submit Date : 2019-02-21
皿周辺にn E は確認された貝片が多く散らばっていた。貝製品貝製品は生活用品と<b>漁具</b>、装身具に分けることが出来る。生活用品とされるものにはホラガイ製容器が2 点、<b>漁具</b>として貝スイが3 0 点、貝輪2 点、員
Thumnail
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Subtitle :
Volume :
Series Number : 21
Participation-organizations : 神戸深江生活文化史料館 - 兵庫県
Publisher : 神戸深江生活文化史料館
Publish Date : 19951210
Submit Date : 2017-12-17
一時行方不明になっていた道標望月治民俗調査に参加して土居佳代間き舎き調査に参加して舟橋左斗子︒第悶号二九九= 一・一0 ・一五) m p 渡部部さんと史料館運動大国正英生活文化史料館と父吉川水子深江の<b>漁具</b>l 史
Thumnail
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Subtitle : 平成9年度 発掘調査環境整備事業概報
Volume : 19
Series :
Series Number :
Participation-organizations : 上ノ国町 - 北海道
Publisher : 上ノ国町教育委員会
Publish Date : 19980331
Submit Date : 2019-03-28
5 臼(うす) 1 9 8 5 年三輪茂雄肥前陶磁1 9 8 8 年大橋康二民具実測図の方法E <b>漁具</b>1 9 8 9 年神奈川大学日本常民文化研究所尾張陶磁1 9 9 2 年井上喜久男中世須恵器の研究1