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Prefecture List > All Prefecture > 西富岡・長竹遺跡第4次調査

西富岡・長竹遺跡第4次調査

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/71761
引用表記 国際文化財株式会社 2017 『神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告書56:西富岡・長竹遺跡第4次調査』国際文化財株式会社
国際文化財株式会社 2017 『西富岡・長竹遺跡第4次調査』神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告書56
File
3次元画像
Title 西富岡・長竹遺跡第4次調査
Participation-organizations 神奈川県教育委員会 - 神奈川県
Alternative にしとみおか・ながたけいせきだ4じちょうさ
Subtitle 県道603号(上粕屋厚木)道路改良工事に伴う発掘調査
Volume
Series 神奈川県埋蔵文化財発掘調査報告書
Series Number 56
Author
Editorial Organization
国際文化財株式会社
Publisher
国際文化財株式会社
Publish Date 20171013
Publisher ID
ZIP CODE 1020085
TEL 0363612455
Aaddress 東京都千代田区六番町2番地
Report Type report
NII Type Research Paper
NCID
JP Number
Other Resource
Remark
Site
Site Name 西富岡・長竹遺跡第4次調査
Site Name Transcription にしとみおか・ながたけいせきだ4じちょうさ
Order in book
Address 神奈川県伊勢原市西富岡地内
Address Transcription かながわけんいせはらしにしとみおかちない
City Code 14214
Site Number 伊勢原市№14
North Latitude (JGD)
East Longitude (JGD)
North Latitude (WGS) 352510
East Longitude (WGS) 1391754
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 35.419444 139.298333
Research Period
20160804-20170222
Research Space
1039
Research Causes 道路改良工事
OverView
Site Type
集落
散布地
Main Age
縄文
平安
中世(細分不明)
近世(細分不明)
Main Features
掘立柱建物址-1(近世以降)
竪穴建物址-1(近世以降)
溝状遺構-11(近世以降)
井戸址‐1(近世以降)
土坑‐15(近世以降)
ピット‐184(近世以降)
掘立柱建物址-1(中世)
溝状遺構-3(中世)
土坑‐7(中世)
井戸址‐1(中世)
ピット‐85(中世)
竪穴住居址‐1(平安)
土坑‐1(平安)
ピット‐13(平安)
土坑-9(縄文)
陥し穴‐14(縄文)
ピット‐24(縄文)
Main Foundings
陶磁器(近世以降)
石製品(近世以降)
銭貨(近世以降)
陶磁器(中世)
石製品(中世)
土師器(平安)
須恵器(平安)
灰釉陶器(平安)
石製品(平安)
土器(縄文)
石器(縄文)
Remark (近世以降)複数の溝状以降を検出。
(中世)掘立柱建物址を検出。
(平安)10世紀代のカマドを伴う竪穴住居址を検出。
(縄文)14基の陥し穴を検出。
Abstract 西富岡・長竹遺跡は丹沢山系大山の麓に位置し、渋田川とその支流に挟まれた瘦せ尾根上に立地する。近世では、江戸時代から近現代にかけての屋敷跡や区画溝が見つかっており、居住地として継続的に使用されていたことが分かった。中世では、掘立柱建物址の柱穴に、石塔の一部が埋納された状態で見つかっている。平安時代では、1軒の竪穴住居址が見つかっており、カマドからは、甕や坏に加え、羽釜や置カマドの破片も出土している。縄文時代では、複数の陥し穴が見つかっており、当時は狩猟地として利用されていたようである。
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