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山王遺跡・市川橋遺跡の調査

URL https://sitereports.nabunken.go.jp/19040
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DOI http://doi.org/10.24484/sitereports.19040
引用表記 宮城県教育委員会 2015 『宮城県文化財調査報告書238:山王遺跡・市川橋遺跡の調査』宮城県教育委員会
宮城県教育委員会 2015 『山王遺跡・市川橋遺跡の調査』宮城県文化財調査報告書238
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ファイル
書名 山王遺跡・市川橋遺跡の調査
発行(管理)機関 宮城県教育委員会 - 宮城県
書名かな さんのう いせき いちかわばし いせき の ちょうさ
副書名 都市計画道路(主要地方道『泉―塩釜線』関連遺跡調査報告書
巻次 8
シリーズ名 宮城県文化財調査報告書
シリーズ番号 238
編著者名
編集機関
宮城県教育委員会
発行機関
宮城県教育委員会
発行年月日 20151030
作成機関ID 04000
郵便番号 9808423
電話番号 0222113682
住所 宮城県仙台市青葉区本町3-8-1
報告書種別
埋蔵文化財(遺跡等)-発掘調査・分布調査・資料調査等
資料タイプ Research Paper
発掘調査報告 掲載されている(発掘調査報告書総目録の掲載対象)
所蔵大学(NCID)
JP番号
他の電子リソース
備考
所収論文
所収遺跡
遺跡名 山王遺跡町・伊勢地区
遺跡名かな さんのういせきまち・いせちく
本内順位 1
遺跡所在地 宮城県多賀城市南宮・八幡地内
所在地ふりがな みやぎけんたがじょうしなんぐう・はちまんちない
市町村コード 042099
遺跡番号 18013
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 381805
東経(世界測地系)度分秒 1405824
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 38.301388 140.973333
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20130716-20131218
20141104-20141215
調査面積(㎡)
7600
調査原因 主要地方道『泉―塩釜線』4車線化工事(東日本大震災復興関連事業)
遺跡概要
種別
集落
宮都
時代
奈良
平安
江戸
主な遺構
区画溝跡5
井戸跡2
小溝状遺構群(畑跡)2
北辺区画大溝跡1
土壙2
小溝跡1
主な遺物
非ロクロ土師器甕
ロクロ土師器内黒坏
高台坏
須恵器坏
高台坏
長頸壺
赤焼土器坏
高台坏
平瓦
丸瓦
内朱
外黒地草花文朱描漆器椀
「七月十六日」墨書笹塔婆
特記事項 陸奥国府多賀城跡の方格地割の西はずれにおける8世紀後半~10世紀中頃の土地利用状況が明確となった。①町屋の北辺区画施設の構造と変遷が明確化、②笹塔婆は盂蘭盆会関連。


種別:古代地方都市の北西外縁部 集落跡(近世町家)
遺跡名 山王遺跡 八幡地区
遺跡名かな さんのういせき
本内順位 2
遺跡所在地 宮城県多賀城市南宮・八幡地内
所在地ふりがな みやぎけんたがじょうしなんぐう・はちまんちない
市町村コード 042099
遺跡番号 18013
北緯(日本測地系)度分秒
東経(日本測地系)度分秒
北緯(世界測地系)度分秒 381805
東経(世界測地系)度分秒 1405824
経緯度(世界測地系)10進数(自動生成) 38.301388 140.973333
※当該位置周辺を表示し、同一名称の遺跡データが存在する場合は遺跡をポイント表示します。
調査期間
20130716-20131218
20141104-20141215
調査面積(㎡)
7600
調査原因 主要地方道『泉―塩釜線』4車線化工事(東日本大震災復興関連事業)
遺跡概要
種別
集落
宮都
城館
時代
古墳
奈良
平安
鎌倉
主な遺構
区画溝跡3
竪穴住居跡15
材木塀跡5
道路跡3(西5・西6・北3)
井戸跡3
溝跡9
二重の方形区画溝跡2条
建物跡1
畑跡1
土壙4
胴木3
主な遺物
栗囲式期土師器長胴甕
須恵器坏H蓋
大甕
非ロクロ土師器内黒蓋
非ロクロ土師器甕
ロクロ土師器内黒坏
内黒甕
墨書「國」坏
須恵器坏
長頸壺
赤焼土器坏
高台坏
灰釉陶器埦
円面硯
刻印「占」
有段丸瓦
平瓦
砥石
ロクロかわらけ小皿
特記事項 6世紀末~7世紀中頃でもやや新しい頃(660年代末頃)にかけて存続した拠点的大集落跡の北東縁部。陸奥国府多賀城跡城外の方格地割形成以前の区画施設。西3北3道路交差点以南の西3道路跡と以東の北3道路跡が9世紀前半の方格地割Ⅰ期に造営され、方格地割Ⅲ期まで存続したことが明らかとなった。二重の区画溝で方形に区画された13世紀後半頃の屋敷跡南西部。


種別:拠点的大集落遺跡 陸奥国府多賀城跡の城外 古代地方都市の外縁部 屋敷跡
主な時代:古墳 奈良 平安 鎌倉 その他

遺跡名:山王遺跡八幡地区~市川橋遺跡八幡地区
要約 【古墳時代後期(栗囲式期)】
 市川橋遺跡八幡地区の第4工区は、6世紀末~7世紀中頃でもやや新しい頃(660年代末頃)の拠点的集落の北東縁部に当たり、区画溝跡を検出した。
【奈良時代】
 山王・市川橋遺跡八幡地区(第4工区)で、陸奥国府多賀城跡城外の方格地割形成以前の区画施設(材木塀跡、区画溝跡)の北側延長を検出した。
【平安時代】
 山王遺跡町・伊勢地区の第1工区では、北2道路跡の北約60mに位置する9世紀前半の東西区画溝跡を境に、北側が耕作域(畑)、南側(旧調査区側)が居住域となっていた。9世紀中頃、河川氾濫とみられる自然堆積層の堆積を契機に、区画溝、畑が廃絶したことが明らかとなり、方格地割の西はずれにおける土地利用状況が明確となった。
 山王・市川橋遺跡八幡地区の第4工区で、西5・西6・北3道路跡を検出した。SX2651北3道路跡は、5期区分された旧調査の成果と対比し、これが方格地割が形成される9世紀前半のA期、貞観11年(869)陸奥国巨大地震当時のB期、その復興期の9世紀後葉のC期、灰白色火山灰の降灰した10世紀前葉頃のD期、10世紀前葉~中頃と考えられるE期に区分した。その結果、西3北3道路交差点以南の西3道路跡と以東の北3道路跡が9世紀前半の方格地割Ⅰ期に造営され、方格地割Ⅲ期まで存続したことが明らかとなった。
【鎌倉時代】
 市川橋遺跡八幡地区の第4工区で、方形区画溝跡で二重に区画された屋敷跡の南西部となるL字状方形区画溝跡2条を検出した。13世紀後半頃の屋敷跡とみられ、新たに検出した屋敷跡である。
 第1工区から第4工区まで東西約760mにわたって実施した幅約10mの細長いトレンチ調査で、古墳時代後期(栗囲式期)~古代(奈良・平安時代)の遺構面Ⅱの標高を検討した結果、陸奥国府多賀城跡の方格地割の北側における土地利用を考える上で参考となる以下の知見が得られた。
 ①第1工区から第4工区までの遺構面Ⅱは、大局的にみると西側の第1工区から東側の第4工区に向けて低下している。②遺構面Ⅱの標高は、西端が3.8m、東端が2.9mで、標高差は0.9mある。③第1工区で灰色シルト層が堆積した箇所は両隣よりも低く、この箇所に河川氾濫堆積物が自然堆積した状況を裏付けている。9世紀中頃の灰色シルト層下部の粒度・珪藻分析では、河川氾濫による堆積物で淡水生種の珪藻が主体を占め、わずかに汽水生種の珪藻が含まれることが判明した。④第2工区~第3工区にかけては湿地として標高も低く、土地利用されていない状況がよく理解できる。⑤第4工区では西5・西6道路が東側の居住区域よりも標高が低く、標高の低い区域を選んで道路が造営された状況がよくわかる。⑥この西6道路跡の西側は西6道路跡よりもさらに標高が20cm低い。大雨など道路側溝が冠水・横溢した際に、より低い箇所に水流が流れることを意識したためか、土地利用されていない。

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