奈良文化財研究所 ホーム
Search
List
Others
おすすめ
report count (with pdf)
37821 reports
( Participation 722 Orgs )
report count
132012 reports
( compared to the privious fiscal year + 262 reports )
( Participation 1908 Orgs )
site summary count
146187 reports
( compared to the privious fiscal year + 483 reports )
Article Collected
119352 reports
( compared to the privious fiscal year + 234 reports )
video count
1212 reports
( compared to the privious fiscal year + 23 reports )
( Participation 109 Orgs )
Event Collected
1064 reports
( compared to the privious fiscal year + 9 reports )
※過去開催分含む

Simple Search

Participation-organizations三重県 Author上村安生

( "backed blade" OR ナイフ形石器 OR ナイフシェイプドトゥール )






















Site Name・Site Name Transcription・Address・Address Transcription・Site Number
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
Subtitle :
Volume :
Series Number : 422-1、第29号
Participation-organizations : 三重県埋蔵文化財センター - 三重県
Publisher : 三重県埋蔵文化財センター
Publish Date : 20240300
Submit Date : 2024-04-17
年度の試掘で明らかになった第3次調査区の下層、第4次調査区の下層を調査し、<b>ナイフ形石器</b>や剥片などが出土した。平成7年度に行った第5次調査では、第2次・第3次調査区の間の5,750 ㎡の発掘調査を行った。弥
Subtitle : 一般県道田丸停車場斎明線道路改良事業に伴う
Volume :
Series Number : 104
Author : 上村 安生
Participation-organizations : 三重県埋蔵文化財センター - 三重県
Publisher : 三重県埋蔵文化財センター
Publish Date : 19920300
Submit Date : 2017-07-05
の内容については表採資料が中心であるが、かなり明らかになってきている。なかでも、上地山遺跡( 2 ) は昭和5 8 年と5 9 年に発掘調在が行われており、国府型<b>ナイフ形石器</b>をはじめ、チャート製の小型<b>ナイフ形石器</b>、舟底<b>形石器</b>、1 蚤器、楔<b>形石器</b>
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
Subtitle :
Volume : 1
Series : 研究紀要
Series Number : 16-2
Participation-organizations : 三重県埋蔵文化財センター - 三重県
Publisher : 三重県埋蔵文化財センター
Publish Date : 20070300
Submit Date : 2017-08-10
お、嬉野宮野町より上流域の狭陰な山間部については、今のところ、矢下(大垣内)遺跡で断片的に確認されているだけである。旧<b>石器時代雲出川流域を含めて中勢地域でナイフ形石器</b>が最もまとまって確認されているのが、高
Subtitle : 一般県道度会玉城線道路改良事業に伴う
Volume :
Series Number : 103
Author : 上村 安生
Participation-organizations : 三重県埋蔵文化財センター - 三重県
Publisher : 三重県教育委員会 | 三重県埋蔵文化財センター
Publish Date : 19920300
Submit Date : 2017-07-05
8 年と5 9 年に発掘調査が行われており、国府型<b>ナイフ形石器</b>をはじめ、チャート製の小型<b>ナイフ形石器</b>、舟底<b>形石器</b>、掻器、楔<b>形石器</b>、石核等が出①土している。当遺跡の東北約7 0 0 mの東伸遺跡( 3
Subtitle :
Volume :
Series Number : 125-3
Participation-organizations : 三重県埋蔵文化財センター - 三重県
Publisher : 三重県埋蔵文化財センター
Publish Date : 19950300
Submit Date : 2017-07-11
の時点で本遺跡で検出された土師器焼成坑の数は2 1 4基となった。これと並行して、前年度の試掘で明らかになった第3次調査区の下層、第4次調査区の下層を調査し、<b>ナイフ形石器</b>や剥片などが出土した。調査区は標裔1 4 .5m から1 5 m の
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
Subtitle : 一般国道23号中勢道路(9工区)建設事業に伴う
Volume :
Series Number : 115-11
Participation-organizations : 三重県埋蔵文化財センター - 三重県
Publisher : 三重県埋蔵文化財センター
Publish Date : 20060300
Submit Date : 2017-08-10
多数確認されている。2歴史的環境六大B遺跡(1)は、弥生時代から近世に至る複合遺跡である。遺物だけをみればチャート製の<b>ナイフ形石器</b>がA地区①で出土している。<b>ナイフ形石器</b>は本遺Ⅱ位置と環境−6 −第2図遺跡位置図(1
※モバイル対応のPDFは解像度を下げているため、画像が粗く文章が読みにくい場合があります。
Subtitle : 世古遺跡・下沖遺跡・二ツ屋遺跡
Volume : 1
Series : 研究紀要
Series Number : 17-2
Participation-organizations : 三重県埋蔵文化財センター - 三重県
Publisher : 三重県埋蔵文化財センター
Publish Date : 20080331
Submit Date : 2017-08-17
調査を行っているほか和田古墳を地区除外し保存している。2位置と環境下沖遺跡(1)は、雨淵川右岸の河岸段丘下位面に位置する。標高14~15mの水田地帯である。雨淵川は当遺跡の西側で横輪川に合流し、さらに1km ほどで宮川に合流する。当遺跡の周辺には、旧<b>石器</b>時代から室町時代に至る遺跡が多数確認できる。旧石器時代では元新田遺跡(15)でナイフ形石器が採集されている(1) 。縄文時代では中期の土器が出土したハノカ遺跡(2) (19)、後・晩期の拠点集落と考えられる佐八藤波遺跡(3) (11)、中ノ垣外遺跡(4) (14)がある。弥生時代では中期の竪穴住居が中ノ垣外遺跡で確認されている。古墳時代では落合古墳群(5) (20)で5世紀代の古墳が確認されているほか、当遺跡周辺には和田古墳(26)、外野古墳(25)がある。奈良・平安時代では中ノ垣外遺跡で掘立柱建物が確認されている。鎌倉・室町時代では中新田遺跡(6) (16)、中ノ垣外遺跡、岩出遺跡群(7) (9)で多くの遺構や遺物が確認されている。3調査区の基本層位第4図のB地区土層断面図に示したが、基本層位は第1・2層の耕作土および床土の下層が遺物包含層の第3層灰茶褐色粘質土で、その下層が基盤となる黄褐色粘質土である。現地表面から40 ~60cm の深さである。ただし、B地区の東端では第3層と基盤層の間に灰茶褐色礫混入土と茶褐色粘質土を含む。第17図下沖遺跡遺跡位置図(1:50,000)[国土地理院『伊勢』1:25,000] 下沖遺跡11 矢塚古墳群22 東村遺跡33 明豆西遺跡44 明豆遺跡55 狼谷遺跡66 アレキリ遺跡77 中角遺跡88 岩出遺跡群99 下新田遺跡111 佐八藤波遺跡111 元新畑遺跡111 土畑遺跡111 中ノ垣外遺跡111 元新田遺跡111 中新田遺跡111 西垣外遺跡111 高殿山遺跡111 ハノカ遺跡111 落合古墳群222 北垣内遺跡222 中道遺跡222 塚の上遺跡222 乙部遺跡222 外野古墳222 和田古墳222 和田遺跡222 上久保遺跡222 小谷遺跡222 -30-4遺構と遺物発掘調査の結果確認された遺構は平安時代の土壙墓SX4のほかは鎌倉時代から室町時代にかけてのものである。遺物は土師器皿・小皿・鍋が中心であるが遺物包含層から石鏃も出土している。以下、遺物の記述について法量などの詳細は遺物観察表によることとする。掘立柱建物SB15 3間×1間以上の規模の建物である。総柱建物になる可能性がある。柱掘形は40cm前後の円形である。柱間は東西2.1m、南北は1.9m+2.0m+1.9mである。建物の時期は不明であるが井戸SE13に伴えば15世紀代であろう。土壙墓SX4長軸95cm×短軸80cm、深さ20cmの土壙に渥美窯産の広口瓶(31)を横向きに埋設している。骨は出土していないが、その出土状況から土壙墓と思われる。広口瓶の体部にはヘラ描き記号がみられる。12世紀代と考えられる。土坑SK2A地区の南端にあるいくつかの土坑の重複あるいは落ち込みである。深さは10cm前後と浅い。土師器小皿(1 ~3)・皿(4 ~8)・鍋(9 ~11)、陶器山茶椀(12 ~19)・鉢(20)・壺(21)、青磁椀(22・23)が出土しており、13世紀後半から14世紀中葉と考えられる。土坑SK5SX4の北に位置する。長軸60cm×短軸50cm、深さ10cmの土坑である。土師器小皿(24)・皿(25)・鍋(26)、陶器山茶椀(27)が出土しており、13世紀代と考えられる。土坑SK6SK5の北に位置する。長軸80cm×短軸84cm、深さ20cmの土坑である。土師器鍋(29 ・30)、陶器山茶椀(28)が出土している。山茶碗は13世紀代であるが土師器鍋は15世紀代の遺物であり、15世紀代の遺構と考えられる。土坑SK18 B地区の中央付近に位置する。複数の土坑が重複していると思われる。深さは10cmと浅い。土師器小皿(62)・皿(63)が出土しており、15世紀代と考えられる。土坑SK7・9~12・16・19 いずれも排水路部分のみの幅の狭いA地区の遺構で調査区外へ続くため規模は不明である。深さは15 ~40cmである。出土遺物が土師器細片のため遺構の時期は不明であ第18図下沖遺跡遺跡地形図(1:5,000)-31-る。井戸SE1石組みの井戸である。井戸の掘形は直径約2.0mのほぼ円形である。深さは検出面から約2.3mである。底に幅約30cm、高さ約40cmの板材を8枚組み合わせた直径約60cmの木桶を据えて井筒としている。石組みはその木桶の上部から5段ほどは15cm前後の小振りな川原石を真っ直ぐに積み上げ、その後30cm前後の川原石を積み上げて築かれている。上部にいくほど直径は広がり、検出面での石組みの直径は約1.1mである。井戸埋土下層から土師器小皿(32 ~40)・鍋(41)が出土しており、15世紀後半には埋没している。井戸SE8素掘りの井戸である。深さは約1.8m まで掘り下げたが湧水が激しく以下未掘。井筒などは見つかっていない。埋土は上からⅠ層が灰茶褐色粘質土、Ⅱ層が黄茶褐色粘質土、いずれも5 ~10cm ほどの礫を含んでいる。Ⅲ層が鉄分を含む黄灰色粘土で20 ~30cmの川原石が投げ込まれている。Ⅳ層が青灰色粘土で湧水が激しい。遺物はⅠ層から陶器緑釉小皿(43)、Ⅲ層から土師器羽釜(42)が出土している。図化していないがⅢ層からは土師器小皿・鍋も出土しており、おおむね15世紀には埋没している。井戸SE13 石組みの井戸である。井戸の掘形は直径1.8mほどの円形である。石組みは直径約90cm で深さ約1.6m、井戸SE1とは異なり真っ直ぐに積まれている。土師器蓋(44)・鍋(45)、陶器山茶椀(46 ~50)・壺(51)・練鉢(52)が出土しているが、土師器が15世紀代に対して山茶椀は12世紀代と考えられる。山茶椀は混入と思われ、最終の埋没時期は15世紀と考えられる。井戸の東側に石列SZ14 があるが用途は不明である。石列の北側と西側に面を揃える。井戸SE17 B地区の西寄りに位置する。石組みの井戸である。掘形は2.8m×2.5mの楕円形。石組みの直径は上部で1.1mである。深さは検出面から約1.2mと浅い。底の直径は約70cm。陶器壺(64)・甕(66)、青磁椀(65)が出土している。ほかの井戸と同様におおむね15世紀代に埋没したと思われる。第19図下沖遺跡調査区位置図(1:2,000)-32-第20図下沖遺跡A地区・B地区遺構平面図(1:200)、B地区土層断面図(1:80)-33-第21図下沖遺跡SE1・SE17実測図(1:40)、SX4実測図(1:20)、SB15実測図(1:100)-34-溝SD3A地区土坑SK2の北側に位置する。幅0.5 ~1.1m、深さ10 ~15cm。東西方向の溝で調査区外へと続く。出土遺物はなく時期は不明。そのほかの遺構と遺物面的な調査を行ったB地区では不整形な土坑あるいは溝状の遺構があるが出土遺物もなくはっきりとしない。遺物ではA地区の遺物包含層から緑釉陶器椀(53 ・54)や土師器椀(57)、砥石(61)などが出土しており、B地区の遺物包含層からは白磁合子(73)、土師器椀(68・78)、石鏃(80)などが出土している。遺構の確認されていない10世紀から11世紀の遺物もみられ、今回の調査区以外にこれらの時期の遺構が存在する可能性がある。5まとめ今回の調査では標高14 ~15mと周辺の周知の遺跡に比べて5m前後低い立地にもかかわらず、12世紀から15世紀代の遺構が確認された。当遺跡から約1.5 kmほど北に位置する中新田遺跡の発掘調査では一部15世紀に入る遺構があるようだが、13世紀後半から14世紀を中心とする遺構遺物が確認されている。当遺跡ではその前後する時期に集落の展開の中心がみられるようである。ただ、ごく限られた範囲の調査であったため遺跡の全容の把握は難しい。そのような限られた調査ではあったが12世紀代の土壙墓SX4の検出などこの地域の歴史の解明に一定の成果はあげられたのではなかろうか。[註](1)『三重県伊勢市遺跡分布地図』伊勢市教育委員会1981 (2)「ハノカ遺跡」『近畿自動車道(勢和~伊勢)埋蔵文化財発掘調査報告-第5分冊』三重県埋蔵文化財センター1992 (3)『佐八藤波遺跡発掘調査報告』伊勢市教育委員会1990 (4)「中ノ垣外遺跡」『昭和58年度農業基盤整備事業地域埋蔵文化財発掘調査報告』三重県教育委員会1984 (5)『近畿自動車道(勢和~伊勢)埋蔵文化財発掘調査報告-第7分冊-落合古墳群』三重県埋蔵文化財センター1992 (6)『岩出地区内遺跡群発掘調査報告』三重県埋蔵文化財センター1996 (7)『中新田遺跡(第2次)発掘調査報告-三重県伊勢市津村町所在』三重県埋蔵文化財センター2007 第22図下沖遺跡SE13・SZ14実測図(1:40)-35-第23図下沖遺跡A地区遺物実測図(1:4)[1~23:SK2、24~27:SK5、28~30:SK6、31:SX4、32~41:SE1] -36-第24図下沖遺跡A・B地区遺物実測図(1:4)-37-報告番号実測番号器種出土地区出土遺構法量調整・技法胎土焼成色調残存備考1 007-05 土師器小皿C2 SK2埋土口8.3 口:ヨコナデ内外:ナデ、オサエ密良橙7.5YR7/6 完存2 004-05 土師器小皿C2 SK2埋土口7.2 口内:ナデ外:ユビオサエ後ナデ密良橙7.5YR7/6 3/12 3 007-03 土師器小皿C1・2 SK2埋土口8.8 口:ヨコナデ内外:ナデ、オサエやや密良浅黄橙7.5YR8/3 口4/12 4 007-01 土師器皿C1・2 SK2埋土口11.3 口:ヨコナデ内外:ナデ、オサエやや密良にぶい橙7.5YR7/4 口3/12 5 004-04 土師器皿C2 SK2埋土口12.0 口:ヨコナデ内:ナデ外:ユビオサエ後ナデ密良にぶい黄橙10YR7/4 口2/12 6 007-06 土師器皿C2 SK2埋土口13.2 口:ヨコナデ内外:ナデ、オサエ密良浅黄橙10YR8/3 口2/12 7 007-02 土師器皿C1・2 SK2埋土口13.0 口:ヨコナデ内外:ナデ、オサエやや密良にぶい黄橙10YR7/3 口3/12 8 007-04 土師器皿C1・2 SK2埋土口13.8 口:ヨコナデ内外:ナデ、オサエ密良にぶい黄橙10YR7/3 口2/12 9 008-03 土師器鍋C1・2 SK2埋土口26.8 口:ヨコナデ内外:オサエ、ナデやや密良にぶい橙7.5YR7/4 口1/12 10 008-01 土師器鍋C1・2 SK2埋土口27.5 口:ヨコナデ内外:オサエ、ナデやや密良灰白10YR8/2 口1/12 11 008-02 土師器鍋C1・2 SK2埋土口34.0 口:ヨコナデ、ナデやや密良灰白10YR8/2 口1/12 12 005-06 陶器山茶椀C2 SK2 底7.4 内:ロクロナデ外:ロクロナデ、貼付高台ナデ、糸切り痕密良灰白5Y8/1 底1/2 13 005-04 陶器山茶椀C1・2 SK2埋土底8.2 内:ロクロナデ外:ロクロナデ、貼付高台ナデ、糸切り痕密良灰白5Y7/1 底3/4 内面磨耗14 009-04 陶器山茶椀C1・2 SK2埋土底7.4 内:ロクロナデ外:ロクロナデ、貼付高台ナデ、糸切り痕密良灰白7.5Y7/1 底1/2 15 009-05 陶器山茶椀C1・2 SK2埋土底6.8 内:ロクロナデ外:ロクロナデ、貼付高台ナデ、糸切り痕密良灰白7.5Y7/1 底4/12 16 006-02 陶器山茶椀C1・2 SK2埋土底6.0 内:ロクロナデ外:ロクロナデ、貼付高台ナデ、糸切り痕密良灰白2.5Y7/1 底1/4 17 009-02 陶器山茶椀C1・2 SK2埋土底6.5 内:ロクロナデ外:ロクロナデ、貼付高台ナデ、糸切り痕密良灰10Y7/ 底部完存18 005-07 陶器山茶椀C1・2 SK2埋土底6.0 内:ロクロナデ外:ロクロナデ、貼付高台ナデ、糸切り痕密良灰白5Y7/1 底1/4 19 009-03 陶器山茶椀C1・2 SK2埋土底6.8 内:ロクロナデ外:ロクロナデ、貼付高台ナデ、糸切り痕密良灰白5Y8/1 底1/2 20 006-04 陶器鉢C2 SK2埋土口34.3 口内:ロクロナデ外:ロクロナデ、ケズリやや粗良灰白5Y7/1 口1/12 21 009-01 陶器壺C1・2 SK2埋土底12.8 ロクロナデ密良灰オリーブ7.5Y6/2 底部完存22 005-05 青磁椀C1・2 SK2埋土底5.8 施釉密良素地:灰白7.5Y7/1 釉:オリーブ灰5GY6/1 底1/3 23 007-07 青磁椀C1・2 SK2埋土底6.2 施釉密良素地:灰白10Y7/1 釉:オリーブ黄7.5Y6/3 底10/12 24 004-06 土師器小皿C3 SK5埋土口7.6 口内:ナデ外:ユビオサエ後ナデ密良浅黄橙7.5YR8/4 口3/12 25 004-07 土師器皿C3 SK5埋土口11.6 口:ヨコナデ内:ナデ外:ユビオサエ後ナデ密良浅黄橙10YR8/4 口2/12 26 006-05 土師器鍋C3 SK5埋土口15.8 口:ヨコナデ内:ナデ外:ユビオサエ後ナデやや粗良灰白2.5Y8/2 口2/12 27 006-03 陶器山茶椀C3 SK5埋土口15.4 底6.9 器高5.6 口内:ロクロナデ外:ロクロナデ、貼付高台ナデ、糸切り痕密良灰白7.5Y7/1 1/3 28 006-01 陶器山茶椀C4 SK6埋土底7.6 内:ロクロナデ外:ロクロナデ、貼付高台ナデ、糸切り痕密良灰白7.5Y7/1 底1/6 内面磨耗29 005-03 土師器鍋C4 SK6埋土口30.4 口:ヨコナデ内:ユビオサエ後ナデ外:ハケやや粗良灰白5Y8/1 口1/12 外面スス付着ハケ5本/㎝30 005-02 土師器鍋C4 SK6埋土口30.0 口:ヨコナデ内:ユビオサエ後ナデ外:ハケやや粗良にぶい橙7.5YR7/4 口3/12 外面スス付着ハケ4本/㎝31 010-01 陶器広口瓶C3 SX4 口15.3 ロクロナデ密良暗灰N3/ 1/2 32 002-01 土師器小皿C1 SE1下層内口7.3 口内:ナデ外:ユビオサエ後ナデ密良浅黄橙7.5YR8/4 ほぼ完存33 002-03 土師器小皿C1 SE1下層内口14.0 口内:ナデ外:ユビオサエ後ナデ密良浅黄橙7.5YR8/4 完存34 002-04 土師器小皿C1 SE1下層内口18.0 口内:ナデ外:ユビオサエ後ナデ密良灰白10YR8/2 完存35 002-05 土師器小皿C1 SE1下層内口8.2 口内:ナデ外:ユビオサエ後ナデ密良浅黄橙10YR8/4 1/2 36 002-02 土師器小皿C1 SE1下層内口12.5 口内:ナデ外:ユビオサエ後ナデ密良浅黄橙7.5YR8/3 完存37 002-08 土師器小皿C1 SE1下層内口16.0 口内:ナデ外:ユビオサエ後ナデ密良浅黄橙10YR8/3 完存38 002-07 土師器小皿C1 SE1下層内口27.0 口内:ナデ外:ユビオサエ後ナデ密良浅黄橙10YR8/3 完存39 002-06 土師器小皿C1 SE1下層内口20.2 口内:ナデ外:ユビオサエ後ナデ密良にぶい橙7.5YR7/4 1/2 40 002-09 土師器小皿C1 SE1下層内口10.5 口内:ナデ外:ユビオサエ後ナデ密良浅黄橙10YR8/4 完存第9表下沖遺跡遺物観察表1-38-報告番号実測番号器種出土地区出土遺構法量調整・技法胎土焼成色調残存備考41 001-03 土師器鍋C1 SE1下層内口35.6 口:ヨコナデ内:ユビオサエ後ナデ外:ハケ密良浅黄橙10YR8/4 口1/12 外面スス付着ハケ8~9本/㎝42 001-01 土師器羽釜C7 SE8Ⅲ層口28.0 口:ヨコナデ内:ユビオサエ後ナデ外:ヨコナデ、ハケ密良淡黄2.5Y8/3 口5/12 外面スス付着ハケ3本/㎝43 003-08 陶器縁釉小皿C11 SE8Ⅰ層口9.0 口:ヨコナデ内外:ナデ密良素地:灰白7.5Y8/1 釉:オリーブ黄7.5Y6/3 口3/12 44 003-07 土師器茶釜蓋C11 SE13上層口14.8 口:ヨコナデ内外:ナデ密良にぶい黄橙10YR7/4 1/12 45 001-02 土師器鍋C11 SE13上層口23.2 口:ヨコナデ内:ユビオサエ後ナデ外:ハケ密良浅黄橙10YR8/4 口1/12 外面スス付着ハケ4本/㎝46 003-02 陶器山茶椀C11 SE13 底7.6 内:ロクロナデ外:ロクロナデ、貼付高台ナデ、糸切り痕密良灰白2.5Y7/1 底部完存47 003-04 陶器山茶椀C11 SE13 底8.0 内:ロクロナデ外:ロクロナデ、貼付高台ナデ、糸切り痕密良灰白7.5Y7/1 底部完存48 003-03 陶器山茶椀C11 SE13 底6.7 内:ロクロナデ外:ロクロナデ、貼付高台ナデ、糸切り痕密良灰白7.5Y7/1 底部完存49 003-05 陶器山茶椀C11 SE13上層底7.6 内:ロクロナデ外:ロクロナデ、貼付高台ナデ、糸切り痕密良灰白7.5Y7/1 底部完存50 003-01 陶器山茶椀C11 SE13 底6.4 内:ロクロナデ外:ロクロナデ、貼付高台ナデ、糸切り痕密良灰白2.5Y7/1 底部完存51 003-06 陶器壺C11 SE13上層底10.0 内:ロクロナデ外:ロクロナデ、貼付高台ナデ、糸切り痕密良灰白7.5Y7/1 底部完存52 004-01 陶器練鉢C11 SE13 ーロクロナデ密良赤褐10YR4/3 小片53 013-07 緑釉陶器椀C11 A地区包底6.7 内:施釉外:施釉、ケズリ、貼付高台ナデ密良素地:灰10Y6/1 釉:暗オリーブ5Y4/3 底3/12 54 014-02 緑釉陶器椀C18 A地区包底9.0 施釉密良素地:灰白7.5Y7/1 釉:オリーブ黄7.5Y6/3 底3/12 55 013-04 土師器小皿G6 A地区包口9.1 ~10.0 ユビオサエやや粗良浅黄橙10YR8/3 完存56 013-05 土師器ミニチュア土器C20 A地区包底3.2 内:ナデ外:ユビオサエ、ナデやや密良にぶい黄橙10YR6/3 脚部完存57 013-06 土師器椀C19 A地区包口14.4 底7.3 器高6.2 口:ヨコナデ内:オサエ、ナデ外:オサエ、ナデ、ハケ、貼付ナデ密良浅黄橙10YR8/3 1/2 58 013-02 陶器山茶椀C12 A地区包口16.1 底8.1 器高5.3 口内:ロクロナデ外:ロクロナデ、貼付高台ナデ、糸切り痕密良灰白7.5Y7/1 1/5 59 013-03 陶器縁釉小皿C7 A地区包口11.8 底5.4 器高2.7 口内:ロクロナデ外:ロクロナデ、糸切り痕密良素地:灰白2.5Y8/2 釉:灰オリーブ7.5Y6/2 1/3 60 014-01 陶器縁釉小皿C1・2 A地区包口10.9 底5.5 器高3.2 ロクロナデやや密良素地:灰5Y6/1 釉:暗褐10YR3/3 2/3 61 011-05 石製品砥石C15 A地区包(8.1)×3.55 ×2.45 ーーーーー重さ97.0g 62 004-03 土師器小皿H4 SK18 口8.4 口内:ナデ外:ユビオサエ後ナデ密良灰白2.5Y8.2 6/12 63 004-02 土師器小皿H4 SK18 口8.4 口内:ナデ外:ユビオサエ後ナデ密良灰白2.5Y8.2 8/12 64 014-03 陶器壺G3 SE17 口14.0 ロクロナデ粗良にぶい赤褐5YR5/3 口4/12 65 014-04 青磁椀G3 SE17 底5.0 施釉密良素地:灰白N7/ 釉:オリーブ灰2.5GY6/1 底1/2 66 005-01 陶器甕G3 SE17 口40.6 口外:ロクロナデ内:ユビオサエ後ナデやや粗良灰赤2.5YR4/2 口3/12 67 011-03 土師器杯G6 B地区包口12.6 ~13.2 口:ヨコナデ内外:オサエ、ナデ密良灰白2.5Y8/1 口7/12 68 011-01 土師器椀G3 B地区包口16.6 底7.3 器高6.0 口:ヨコナデ内:ナデ、オサエ外:ナデ、貼付高台ナデやや密良灰白2.5Y8/2 口4/12 69 011-04 土師器鍋G4 B 地区包口20.0 ~24.4 口:ヨコナデ、オサエ内:オサエ、ナデ外:オサエ、ナデ、ハケ密良にぶい黄橙10YR7/3 口4/12 外面スス付着ハケ6本/㎝70 011-06 土師器鍋G4 B地区包口33.6 口:ヨコナデ内:オサエ、ナデ外:オサエ、ナデ、ハケやや密良淡黄2.5Y8/3 口3/12 外面スス付着ハケ6本/㎝71 011-02 陶器縁釉皿F2 B地区包口9.4 ロクロナデ密良素地:灰白2.5Y8/2 釉:灰オリーブ7.5Y6/2 口6/12 72 013-01 土師質土器椀G2 B地区包底6.1 内:ロクロナデ外:ロクロナデ、糸切り痕やや密良灰白10YR8/2 底部完存73 014-05 白磁合子F6 B地区包口6.8 施釉、ロクロナデ密良素地:灰白5Y8/1 釉:灰白2.5GY7/1 底2/12 74 012-01 土師器皿H3 B地区Pit6 口14.8 口:ヨコナデ内外:オサエ、ナデ密良淡黄2.5Y8/3 口3/12 75 012-05 土師器小皿F5 B地区Pit5 口8.8 ~9.0 口:ヨコナデ内外:オサエ、ナデ密良にぶい黄橙10YR7/3 口7/12 76 012-03 土師器椀F5 B地区Pit2 底8.4 内:ナデ外:ナデ、貼付高台ナデ密良灰黄褐10YR6/2 底7/12 77 012-02 土師器椀F5 B地区Pit15 底7.6 内:ナデ外:ナデ、貼付高台ナデ密良浅黄橙10YR8/3 口6/12 78 012-06 土師器椀F5 B地区Pit5 口15.2 底6.2 器高5.9 口:ヨコナデ内:オサエ、ナデ外:オサエ、ナデ、貼付高台ナデやや密良灰白10YR8/2 5/12 79 012-04 陶器小皿H4 B地区Pit7 口8.2 口内:ロクロナデ外:ロクロナデ、糸切り痕密良灰白2.5Y7/1 口4/12 80 015-01 石製品石鏃G5 B地区包(3.5)×2.1 ーーーーー重さ2.8g第10表下沖遺跡遺物観察表2-39-下沖遺跡A地区SX4(南東から)下沖遺跡A地区SX4(南東から)下沖遺跡A地区南部(北から)下沖遺跡A地区SE13・SZ14(西から)下沖遺跡B地区全景(東から)図版2-41-3二ツ屋遺跡二ツ屋遺跡は宮川下流右岸の伊勢市御薗町高向集落の北方に位置し、自然堤防に相当する微高地に立地する。平成6年度県道大湊宮町停車場線国補道路改良事業に伴って同年4月18・19日に範囲確認調査が実施された。その結果、中世陶器を中心とした遺物が出土し、溝や土坑が検出されたおよそ1,100㎡について本調査を実施した。調査は平成6年9月12日から11月8日まで行い、最終的な調査面積は955㎡であった。調査区は現道を挟んで北側をA地区、南側をB地区とした。A地第25図二ツ屋遺跡調査区位置図・試掘坑位置図(1:5,000)第24図二ツ屋遺跡遺跡位置図(1:25,000)[国土地理院『明野』1:25,000] -42-区の東半分は全面攪乱を受けており、遺構・遺物とも確認できなかったが、溝6条および土坑6基とピット等を検出した。出土遺物には時代幅があるが、概ね鎌倉時代前期が遺構の中心時期と考えられる。A地区のほぼ中央部を北東から南西にむかって延びる溝SD2は、B地区のSD8へ続くと思われる。この溝は上面幅1.6 ~2m、深さ0.9 ~1.2mでゆるやかに蛇行している。断面形は底面に近い下半ではしっかりした逆台形ないしはU字形を呈しているが、上半部分では椀形となっており、掘り直しが行われたものと考えられる。北方向へ流れる傾斜を有している。最下部には黄灰色土ないし灰褐色土、そして上部には灰褐色ないしは褐色の砂が堆積していた。その埋土からは奈良時代から鎌倉時代にかけての遺物が比較的多く出土した。そのほかの溝(SD1・4・9・10・11)は規模の小さな小溝ばかりで、SD4・9を除いて遺物は出土第26図二ツ屋遺跡調査区配置図(1:1,000)第27図二ツ屋遺跡遺構実測図(1:400)-43-していない。土坑は幅1.6~2.8m、長さ2~3.2m、深さ0.91~1.2m程度の長楕円形のものである。SK3・(SD4)・5・6・12・13・14が8mから20m程度の間隔をもってSD2・8の北肩部に取り付くようなあり方を示しているが、これらの土坑の性格は不明である。出土した遺物の全体量はコンテナ3箱と少量である。A地区の包含層からは古墳時代の須恵器・土師器も出土している。また、B地区では緑釉陶器の細片が2点出土しているのが注目される。個々の出土遺物については、第11表の遺物観察表にまとめた。遺構出土の遺物は、SD2および8からの出土が大半を占め、その多くが平安末~鎌倉時代前期の山茶椀が占め、土師器皿・鍋も概ね該期のものであることから、溝の埋没時期は鎌倉時代前半とすることができよう。まとめ今回の調査地は高向集落の北に位置し、すぐ北には宮川が流れ、宮川が形成した自然堤防が広がる微高地となっている。この自然堤防は東西に長く広がり長屋集落まで続いており、南勢バイパス建設に伴って発掘調査された高向A~C遺跡が立地している。第28図二ツ屋遺跡遺物実測図(1:4)-44-今回の調査地では顕著な遺構は検出されなかったことから、高向遺跡の周辺部と考えられよう。高向A~C遺跡では、飛鳥時代の溝、奈良時代の竪穴住居や平安時代の掘立柱建物、鎌倉・室町時代の井戸や土坑などが検出されていて、古代以降は比較的安定した土地であったことがうかがえる。特に、高向B遺跡での庇付掘立柱建物の検出、同B・C遺跡での緑釉陶器や石帯および帯金具の出土が注目されることから、同遺跡は一般集落ではない旧高向郷の官衙的性格を有する集落であったとされている。高向地区への人々の定着は飛鳥時代に初現をみ、平安時代にはすでに高向郷として成立していた場所である。今回の調査においても小片ではあるものの緑釉陶器の破片が出土したことも、そのような歴史性を裏付けるものであろう。〔参考文献〕三重県教育委員会『南勢バイパス埋蔵文化財調査報告』建設省中部地方建設局・三重県教育委員会1973 遺物番号実測番号出土遺構位置器種口径(cm) 器高(cm)底径高台径技法の特徴胎土焼成色調残存度備考1 001-08 SD2 土師器小皿11.0 2.5 8.0 ヨコナデ、ナデ密、細砂粒含並灰白口1/5 2 001-07 SD2 土師器皿13.6 2.6 10.0 ヨコナデ、ナデ密、微砂粒含並淡黄口1/5 3 001-06 SD2 土師器皿15.8 2.6 11.0 ヨコナデ、ナデ密、微砂粒含並淡黄口1/ 84 002-01 SD2 土師器鍋30.3 ヨコナデ粗、砂粒含並浅黄橙口1/10 煤付着5 001-03 SD2 山茶椀11.0 ロクロナデ、高台はりつけやや粗、細砂粒含良灰白底1/2 6 001-04 SD2 山茶椀9.6 ロクロナデ、高台はりつけやや粗、細砂粒含並灰白底1/5 底部内面に自然釉7 001-05 SD8 陶器椀6.0 ロクロナデ、高台削り出し密、細砂粒含良灰白底1/4 山茶椀質・無釉8 004-05 SD8 土師器甕16.6 ヨコナデ、ハケメ密、砂粒含並橙口1/4 9 003-07 SD8 土師器小皿10.2 ヨコナデ、ナデやや密、微砂粒含良にぶい橙口1/6 胎土に金雲母多く含む10 004-06 SD8 土師器皿11.6 2.8 ヨコナデ、ナデ、オサエ密、砂粒含良灰白口~底1/2 11 003-06 SD8 灰釉陶器小椀7.6 ロクロナデ、高台はりつけ精良良灰白底1/8 12 003-08 SD8 山茶椀15.4 ロクロナデ並、砂粒含良灰白口1/4 13 003-02 SD8 山茶椀9.6 ロクロナデ、高台はりつけやや粗、砂粒含良灰白口1/3 14 003-04 SD8 山茶椀8.2 ロクロナデ、高台はりつけ精良良灰白底3/8 15 004-03 SD8 山茶椀8.3 ロクロナデ、高台はりつけ並、砂粒含良灰白底1/4 16 004-02 SD8 山茶椀7.4 ロクロナデ、高台はりつけ並、細砂粒含良灰白底1/4 高台は別の粘土使用17 003-01 SD8 山茶椀7.9 ロクロナデ、高台はりつけやや粗、砂粒含良灰白底ほぼ完存18 003-03 SD8 山茶椀6.8 ロクロナデ、高台はりつけ密、砂粒含み良灰白底完存19 004-01 SD8 山茶椀8.1 ロクロナデ、高台はりつけやや密、砂粒含良灰白底完存20 004-04 SD8 山茶椀7.5 ロクロナデ、高台はりつけやや粗、砂粒含並灰白底完存21 003-05 SD8 陶器捏鉢27.6 ロクロナデ並、砂粒含並灰口1/24 22 001-02 SD4 灰釉陶器6.0 ロクロナデ、高台はりつけ精良良灰白底小片23 001-01 SD4 山茶椀8.0 ロクロナデ、高台はりつけやや密、細砂粒含良灰白底4/5 24 002-03 SD4 丸瓦ケズリ後ナデ並、砂粒含良灰白約1/6 25 002-02 SK5 土錘ナデ密、微砂粒含並灰白完存黒斑あり26 005-02 SD9 山茶椀8.0 ロクロナデ、高台はりつけ密良灰白底完存釉ダレあり27 006-06 包含層土師器杯19.8 ユビオサエ、ナデ密並にぶい橙口1/20 28 007-01 包含層土師器杯15.0 ユビオサエ、ナデ密並橙口1/8 29 006-04 包含層黒色土器椀8.0 ロクロナデ、高台はりつけ粗、砂粒含並にぶい橙底1/6 30 006-02 包含層須恵器杯11.0 ロクロナデ、高台はりつけ粗、砂粒含並灰底1/4 31 005-06 包含層灰釉陶器椀7.4 ロクロナデ、高台はりつけ密、微砂粒含良灰白底1/2 32 006-01 包含層灰釉陶器瓶8.5 ロクロナデ、高台はりつけ密良灰白底1/2 33 006-05 包含層山茶椀15.0 ロクロナデ密良灰白口~体1/8 34 005-01 包含層山茶椀17.3 5.2 8.5 ロクロナデ、高台はりつけ粗、砂粒含並灰白口1/4、底完存高台に籾殻痕35 005-03 包含層山茶椀7.2 ロクロナデ、高台はりつけ密、微砂粒含並灰白底1/2 高台に籾殻痕36 005-04 包含層山茶椀6.3 ロクロナデ、高台はりつけ密、微砂粒含並灰白底完存高台に籾殻痕37 005-05 包含層山茶椀7.5 ロクロナデ、高台はりつけ密良灰白底1/4 38 006-03 包含層陶器甕ナデ密、微砂粒含良にぶい橙口小片鉄釉39 007-05 包含層土錘ナデ粗、砂粒含並橙両端一部欠失40 007-04 包含層土錘ナデ粗良淡黄ほぼ完存41 007-03 包含層土錘ナデ粗、微砂粒含並淡黄完存42 007-02 包含層土錘ナデ粗、微砂粒含並灰白1/4欠失第11表二ツ屋遺跡遺物観察表報告書抄録ふりがななんせいのこうこしりょう1せこいせき・しもおきいせき・ふたつやいせき書名南勢の考古資料1世古遺跡・下沖遺跡・二ツ屋遺跡副書名巻次シリーズ名研究紀要シリーズ番号17 ー2編著者名河北秀実・高崎仁・上村安生・田村陽一編集機関三重県埋蔵文化財センター所在地〒515-0325 三重県多気郡明和町竹川503番地TEL.0596-52-1732 発行年月日2008年3月31日ふりがな所収遺跡名ふりがな所在地コード東経北緯調査期間調査面積調査原因市町村遺跡番号世せこ古遺いせき跡玉たまきちょう城町世せこ古461 610 136°37′23″34°30′52″19921207 ~19930210 600㎡平成4年度県道田丸(停)斉明線道路改良事業下しもおき沖遺いせき跡伊いせし勢市上うえのちょう野町203 a 608 136°39′41″34°26′34″19850527 ~19850704 770㎡昭和60年度県営圃場整備事業二ふたつやツ屋遺いせき跡伊いせし勢市御みそのちょう薗町d 814 136°41′49″34°30′30″19940912 ~19941108 1,100㎡平成6年度県道大湊宮町停車場線道路改良事業所収遺跡名種別主な時代主な遺構主な遺物特記事項世古遺跡集落跡古代~中世掘立柱建物・井戸・土坑・土器焼成坑・中世墓須恵器・土師器・陶器(緑釉・灰釉・山茶椀等)・青磁・土錘・椀形滓16世紀代の土器焼成坑を確認方形窓付き土師器や多数の土錘が出土下沖遺跡集落跡平安時代後半~室町時代掘立柱建物・井戸・中世墓・土坑・溝土師器・陶器(緑釉・灰釉・山茶椀等)・白磁・青磁遺構の主体は鎌倉時代から室町時代前半の集落二ツ屋遺跡集落跡中世溝土師器・陶器(緑釉・灰釉・山茶椀等)・黒色土器・土錘高向遺跡の縁辺部か要約世古遺跡:古代から中世の集落跡。16世紀代の墓や土器焼成坑も確認した。下沖遺跡:平安時代後期から室町時代にかけての集落跡。掘立柱建物や井戸、墓などを確認した。二ツ屋遺跡:中世の集落縁辺。南勢の考古資料1世古遺跡・下沖遺跡・二ツ屋遺跡研究紀要第17 ー2 号2008( 平成20) 年3 月編集・発行三重県埋蔵文化財センター印刷㈲山文印刷
Subtitle :
Volume : 第1分冊
Series Number : 92-1
Participation-organizations : 三重県埋蔵文化財センター - 三重県
Publisher : 三重県埋蔵文化財センター
Publish Date : 19900300
Submit Date : 2017-07-05
キャニングによるデーター取り込みのため若干のひずみが生じています。各図の縮尺率は、スケ<b>ール</b>バーを参照ください。本文目次I 前